金烏玉兎庵

納音と30歳

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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これまで何度か書いていますが、
納音についていくつか質問をされたので改めて納音について記録しておきます。

納音は60干支を円に並べて正反対同士の干支の組み合わせです。
今年は己亥の年なので、年月日の干支のどこかに己巳がある人は、納音の年ということになります。

自分の干支から納音までは物事が外向きに発展し、新たな世界に出会ったり、自分の可能性を模索したりする機運である一方、
納音から自分の干支に戻ってくるときは、自分に戻る、内向きに収斂されていく、自分を研ぎ澄ませ、洗練させていく機運です。

この「自分」とは、
宿命にある「自分」のことなので、
納音までに自分の本質を見極めることが必要で、
納音以降はその自分の本質をきちんと形作り全うしていくことが必要。

言い換えれば、
納音までは自分らしくないことをあれこれやってみたとしても、
納音以降は「自分」にきちんと照準を合わせて、そこから逸れているものは整理し、そうやって不要なものを捨てていくことで本質的な自分に向かうことができます。

例えば、
ブランド企業だからという理由で選んだ会社を辞めるとか、
お金持ちだという理由で結婚した配偶者と別れるとか、
高級住宅地だという理由で選んだ家を手放すのか、
そんな感じです。

但し、納音は納まる気なので、
気持ちを切り替えて整理したとしても、
実際に新しいアクションを起こすのは時期をずらすほうが良いです。
円の正反対同士の干支ということは、気の力が拮抗するため、現実の動きはとてもゆるやかなものになり、
結果として、新しいことを始めたとしても、なかなか結果に結びつきにくいからです。

また納音は、
そうした整理を自発的に行わない場合、そうした整理が自動的に起こる=逸れていると自動的に破壊される時期でもあります。
納音をぐぐると、破壊というワードによく出会いますが、これは、
体裁に縛られたり、
不要なものにしがみついたりしていると、それが自動的に破壊される、淘汰の危機に合うということです。

それを防ぐ、あるいは緩和するには、
意識的に対極の視点を持つこと。

それまでの自分の考え方とは対極の考え方を取り入れたり、
相手の感じ方や受け取り方に思いを巡らせたり(相手は自分にとって対極なので)、
現実的なことに邁進してきた場合は精神性に寄与する何かに取り組んだり、
精神性に傾倒してきた場合は現実的なことに意識を向けてみたり。

そうやって正反対の視点、正反対の気を取り入れることで、納音の破壊的な側面を緩和できます。
これはつまり、
正反対の気を先取りするということ。

円を想像して、
ある地点からその円をどんどん進んでいく場合、正反対まできたらそこからは戻ってくる流れになるわけですが、
それを戻ってくる流れでなくさらに進もうとすれば円から外れてしまいます。
するときちんと軌道に戻るように破壊的な現象をもってそれが促されるわけですが、
予め軌道を認識して、その円の流れに沿うようにしていれば、破壊的な現象が起こることはないということ。

なお、年干支は親や仕事、社会的な面を示す干支ですが、
人は誰しも30歳で年干支が納音となります。
60干支の円のスタートの正反対は30個目なので、30年経ったら正反対の干支、納音になるからです。

これは30歳という時期が、
仕事や社会的な在り方、親との関係を見直す時期であるということでもあります。
そして納音なので、現実的な動きは停滞します。
その停滞の中で、自分の生き方や在り方を振り返り、再構築の準備をするべきときであるということ。

自分の30歳の時を丁寧に振り返ってみるとそんな納音の意味を理解するのに役立つかもしれません。

私の場合、確かに30歳を境に、仕事において目指すものが大きく変化しました。
具体的には、お金を稼ぐことの優先順位がそれまではとても上位にあったのが、
30歳以降、かなり劣後するように。
そして、自分の主星に近い働き方や在り方を志向するようになったように思います。
ただ、当時は不用意に納音の時期を迎えたので、けっこう破壊的な形でそれを促されたようにも思います。

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