「あの人がこんなことされたの!
あの人って○○な人だよ!」
みたいな、虚偽の情報で人をそそのかす、人というのがいます。
平たく言えば、
悪意のある嘘で人を動かす人です。
嘘をつくとバチがあたる、
といわれますが、
相手や周りがそれをある程度「嘘」だと認識している場合には、
大したバチは当たりません。
他愛のない嘘、
ちょっとした見栄、
あるいは虚勢ということもありますが、
相手が信じなければ、
あまり大きなことにはならないものです。
しかし、
どんな些細な嘘であっても、
それを真摯に受け止めて、
大きくアクションを起こす人がいた場合は、
けっこう大きなバチになることになります。
私の周りにはあまりいなくなったのですが、少し前に、そうした「あの人にこんなことをされた」「あの人はこんな人」みたいなことを言ってこられた方がいて、
私がその「あの人」へあまり良い印象を持ってなかったこともあり、
その情報を鵜呑みにしてあるジャッジを下した、ということがありました。
今思えば、
その「あの人」は、少なくともその虚偽の情報のようなことをする人ではないな、と思うのですが、
そのときは、鵜呑みにしてしまいました。
しかしそれはどうも嘘だったように思います。
実はそのことの真偽を正確に直接確認して知っているわけではないのですが、
その後のその二人の様子や状況を見ていて、あるときフッと
「あれは嘘だったんだ。」
と、腹落ちしました。
確認したわけでもないのに腹落ちする、
ということについて、
その説明は難しいのですが、
嘘というのはそのときは分からなくても、ある程度時間が経てばその真偽が自ずと現れてくるもので、
その後のさまざまな出来事や事象が糸で結ばれるようにつながって、
その真実が詳らかになるというのはよくあること。
多分、そんな経験をされたことのある人は実はけっこう多いはず。
嘘に限らず、
悪意というのも案外と、その場では分からなくても時間を経て分かるものです。
なぜそれが分かるのかといえば、
そうした嘘や悪意というのは、ほぼ確実にそれを発した本人に戻っていくものだから。
よって、その後の状況を眺めていれば、その真偽は分かります。
嘘や悪意の怖さは2つあります。
1つはその嘘や悪意が因果応報として自分に返ってくること。
そしてその返ってくるものは自分で予見することができません。
自分の意図以上の影響があった場合、その影響度に応じて戻ってくるので、些細な嘘が大きな結果をもたらしたりします。
もう1つは、そうした嘘や悪意が相手の知るところになれば、その相手からの信頼を永遠に失うということ。
世の中、嘘が慢性化している人もいますが、まともな人は信用と信頼の中に生きているので、嘘や悪意のある人からは離れていきます。
結果として、自分の周りからはまともな人はどんどんいなくなり、まともでない人ばかりになる、という事態に帰結します。
よって、
嘘や悪意はそれが些細でわずかなものであったとしても、
それを締め出して然るべきもの、と思います。
なお、知り合いの命式を見るときというのは、そのような悪因を作らないよう細心の注意を払っています。
なので、お時間をいただいている方、今しばらくお待ちくださいませ。
以前より学びが深まった分、見るところが増えて、時間がかかるようになりました。
知り合いの命式というのは、すでにある程度知られている著名人について気づいたことをチャチャっと書くのとは別次元の緊張感があります。