結婚や共同事業などの縁の強さを見るときに大事な要素として、共通干支というのがあります。
具体的には以下の5つ。
①干合支合
②律音
③大半会
④納音
⑤天剋地冲
それぞれの説明は前に何度か書きましたし、ぐぐると丁寧な解説がたくさん出てくるのでここでは割愛しますが、
①〜③はポジティブな意味を持つといわれる融合条件、
④⑤はネガティブな意味があるといわれる分離条件。
つまり、共通干支は良くも悪くも強い縁のある関係ということがいえます。
このように、
つながりの縁を見るときは
共通干支が年干支、月干支、日干支のどこかか、あるいは羅状(斜め)に存在していれば、縁があると見るのですが、
実は共通干支がなくても惹かれ合うことはあるにはあります。
しかし、これは強い縁ではないので、関係を有意義なものにし、添い遂げたいと思うならば共通干支のある相手を選ぶほうが良いといわれます。
ちなみに、共通干支がないのに惹かれ合うのは、以下の3つの期間のいずれかで出会ったときです。
①大運転中殺で出会う
②共に変剋律大運(異常干支の大運が2連続以上ある)で出会う
③年運天中殺で出会う
つまり、共通干支が全くないのに出会って結婚したり、あるいは一緒に事業をしたりしている人というのは、
これら3つの「枠のない空間」の中でたまたま絡み合って出会った縁であるということ。
なので、そのつながりについて分析してみてもよく分からなかったりします。
こうした縁の型を奎運の型といいます。
この型の場合、
その天中殺の大運なり年運なりが終わると縁が切れていきます。
あれだけ仲が良かったのに離婚しそう、とか、
あれだけうまくやっていたのに、離れていきそう、というとき、
この型にあてはまっていればそれが自然な流れなので、
それは手放していくほうが自分にとっても相手にとっても良い結果になります。
奎運は、いってみれば「些細な縁」なので、それにしがみつくことは、前向きな結果を生みません。
なお、この共通干支は多くの場合、親子や兄弟の間で成立しています。
縁のある家族には、共通干支があり、天干がからめば精神において縁があり、地支がからめば行動において縁があります。
家族の場合は共通干支がない場合、結婚相手や共同事業者のように、
縁がないからといって簡単に離れるわけにはいかないものですが、場合によっては離れたほうが良い家族、というのもいます。
家族の形も千差万別、世の常識では計れません。
話を共通干支に戻します。
結婚にせよ、共同事業にせよ、友人関係にせよ、
その関係を結ぶことには関係する人たち共通の何らかの目的があるわけですが、
共通干支は、そうした共通の目的に共に向かい、成し遂げる上でとても大事な要素です。
干合支合であれば、反発しつつも惹かれ合い、共に結果を着実に出していくことができます。
律音であれば、互いを自分の分身のような理解することができます。
大半会であれば、一人ではたどり着かない場所にたどり着くことができます。
納音であれば、大きく広がることはありませんが、大きく堕ちることもなく、関係が続きます。
天剋地冲であれば、そのある種破壊的な関係を経ることで、因縁を解脱できたりします。
(天剋地冲は分離条件ですが、案外と一目で「なんだか気になる」相手であることも多いです)
いずれも、60種類ある干支の組み合わせの中では珍しい特別な関係なので、
それが融合条件であろうと分離条件であろうと、その相手というのは、良くも悪くも特別である、ということです。
そして、この特別な関係である共通干支のある相手とは、特別に強い信頼関係を築くことができます。
最初から意気投合、というわけにはいかないこともあると思いますが、
もしまわりに共通干支を持つ人がいれば、長い目でその関係を眺め、その関係を大事にすることをお勧めします。
仲が良いときも悪いときもあると思いますが、その関係の中で磨かれるもの、というのもあります。
そうしていった先で、
いざ何かやろう(結婚でも事業でも)!
と思ったときに、その相手がかけがえのないパートナーになってくれたりします。
共通干支はそんな人間関係のモノサシに使うことができます。