※少しシビアな内容なので閲覧注意
『テレプシコーラ』の算命学的考察の続きです。
このお話では、
六花ちゃんが世界的な成功に向かうにあたり、
家系における様々な犠牲が丁寧に描かれています。
母方のおじいちゃんは実業家でお金持ち。
このおじいちゃんは自宅のバレエスタジオを建ててくれた人でもあり、
また六花ちゃんがバレエを続けるための金銭的な援助もしてくれた人です。
いってみれば、六花ちゃんがバレエを続けるのに不可欠の役割を果たした人。
なお、子供に無断で勝手に再婚したりする家系に無頓着な人でもあります。
父方のおばあちゃんは茶道の家元で、たくさんのお弟子さんのいる人。
孫娘にも茶道を教えたいと考えていましたが、バレエをさせると決めていたお母さんに大反対されてお母さんとは不仲の人です。
六花ちゃんのバレエ、そしてコリオグラファーとして成長していく上で、助けになったのはおじいちゃん、障害になるのはおばあちゃんなわけですが、
実際、おばあちゃんは早い段階で(それも六花ちゃんの成功度に応じて)倒れたり病気になったりしていきます。
一方、おじいちゃんのほうは、金銭的な支援の役割でしたが、六花ちゃんに金銭的な支援が不要になった(才能でやっていける段階になった)ところで金銭的に破綻します。
なお、お姉ちゃんの千花ちゃんも、六花ちゃんの基礎的な心構えやトレーニング、バレリーナとしての素養を身につける上で大きな役割を果たし、その死をもって最後まで不足していた「自覚」を促しました。
家系から一人世界的に名をなす人が出るには、それだけの犠牲が伴うということを算命学は語るわけですが、
そのことは、
松下幸之助が大成するために親兄弟が早くに命を落とすという犠牲があったこと、
あるいは英国王室が存続していく上でダイアナ妃という悲劇の犠牲があったことを挙げるまでもなく世の成功者の人生を詳らかにしていけば、その真理を現実社会に見ることができます。
とはいえ、こうしたことは、
世に名をなすのでなければ、
世界的な評価を受けるとか、
世を動かす役割を担うとかでなければ、
目立った犠牲を必要とするものではなかったりもします。
小さな成功には小さな犠牲、
大きな成功には大きな犠牲。
これは、家系の存続や世界的な大成といった人間の人生に関することのみならず、
街や国の安定のために人柱が立てられたように、街や国、あるいは会社のような組織体についてもいえること。
なお、
例えば六花ちゃんが家族とは別のところでコリオグラファーに必要とされる素養や自覚を身につけていれば、
恐らく家系・家庭にはそれほど大きなダメージはなかったのではないかと感じます。
大きなダメージがゆくゆくはあったとしても、そんなに早い段階ではなかっただろうという意味です。
家系の犠牲というのは、
仲の良い親族において生じるものなので、仲が悪いとか疎遠な親族の場合はこうしたことは起こりにくいもの。
これは、子や孫の天中殺や天剋地冲の禍を親や祖父母が引き受けることがあるといわれることにも通じるのですが、
仲の良い親族や同居の家族、とりわけ同じ部屋で過ごす家族(六花ちゃんと千花ちゃんは同じ部屋でした)において特に顕著といわれます。
それぞれが自立し、独立した核家族としてあることは、家系に犠牲を出さない一つの知恵である一方、
人が一人大成することを困難にしているということもいわれます。
以上、4回に分けて『テレプシコーラ』を算命学的に考察してみました。
この物語のテーマは成功と犠牲であったのだろうと思います。
第2部その他の考察については、また気が向いたらときに。
書くかもしれませんが、書かないかもしれません。
とてもシビアな現実を描いた作品でした。