勧められて、山岸涼子さんの『テレプシコーラ』を読んでいます。
実は10年くらい前に一度、第1部だけは読んだことがあったのですが、そのときは「不思議なお話」くらいの印象に留まった作品。
しかし、算命学の知見を得て改めて読んでみると、やはり山岸さん、あらゆるコマ、からゆるセリフに深い意味があることが分かりました。
丁寧に拾っていくと、すべてが一本の線につながる、あらゆる伏線を回収できる「完全な作品」です。
山岸さんの作品が高く評価されるのは、こうした「完全性」にあるのかもしれません。
このお話は、ある面ではとても残酷なお話です。
これまでも、算命学では家系は樹木であるということを何度か書いていますが、
この作品を読むと、
命の柱は並び立つことはなく、
命の旋律は共に響くことはないということ、
家族・家系には主とそれを支える従の役割分担があり、
世界的に大成する人を出す家系には多くの犠牲が伴うものだということ、
そうしたことがとてもよく分かります。
また、無闇に他人に関わることの恐ろしさも示唆されています。
正確にいえば、
他人に関わるべき人と、
他人に関わるべきではない人が世の中にはいるのだということが分かります。
とても一度では書ききれないので、
何度かに分けて書こうと思いますが、
この作品は、そうした世の真理を丁寧に描いた作品です。
これは、小学生の六花ちゃんがバレリーナ、コリオグラファーとして世に出て大成するお話ですが、
このお話の登場人物やその言葉を細かく拾っていくと、
人が大成(大きくその宿命が光り実を結ぶ)ために必要な要素を学ぶことができる、人生の指南書のような要素もあるように思いました。
以下、ネタバレ注意。
千花ちゃん(六花の姉)は多分、日干辛の完全格、なんとなく丙が忌神として透干していそうな印象。
誇り高く美しく華やかで完璧なバレリーナの千花ちゃん。
完全格だけに、その道(このお話ではバレエの道)以外で生きていくことができなかったのだろうと思います。
一方、六花ちゃんは破格のひと。
日干乙(乙卯?)、そして多分、宿命に天剋地冲があります。
とても優しく明るく、柔らかい印象の女の子ですが、自分の思いに忠実で(悪く言えば自分勝手でわがまま)、
人の運を喰って自分がどんどん成功していく人です。
一見、千花ちゃんのほうが神々しく美しく完璧主義の強さを持ち大成しそうでしたが、
人に甘え優しく柔軟ながら弱さを持つ六花ちゃんがその千花ちゃんの人生を喰って六花ちゃんが大成した、そんなお話です。
宿命天剋地冲のある人は、
とても魅力的でカリスマ性があり、人を引きつけ注目を集めますが、
近づいた人はどんどん犠牲になり、
天剋地冲のある本人は、その犠牲をもって成功していきます。
六花ちゃんの動きを追うとそのことがとてもよく分かります。
『テレプシコーラ』というお話の、
六花ちゃんの成功のスタートはどこだったかといえば、
六花ちゃんがバレエをやめるといったのを、千花ちゃんの影響(励ましやら、練習姿やら)で改めてバレエを習い始めたところです。
そして、そこから千花ちゃんは六花ちゃんに運を吸い取られ始めました。
丁寧に読み直すと、2人の明暗がとても丁寧に対比されながら描かれているのが分かります。
千花ちゃんが、六花ちゃんに構うことなく自分のバレエの道を歩んでいたら、違う展開になったであろうと思います。
なお、この2人が年子(2才違いですが、干支は一つ違い)であったことから、2人の関係は連唐干支の関係にあったのだろうとも思います。
だから、連唐干支の後側である六花ちゃんには先見性が生まれ、コリオグラファーとしての才能が開いたということ。
山岸涼子さんがこの2人の誕生月を明示し、作品中でそのことに何度か触れていることから、山岸さんもこの連唐干支を意識していたと思います。
山岸さんの作品には陰陽五行思想や仏教、神道の奥深い知識が散りばめられていると前々から感じていましたが、
算命学についても学ばれたのだろうと思いました。