『日出処の天子』という山岸涼子さんの手による漫画の傑作があります。
極めて哲学的な、
そして示唆に富む作品ですが、
厩戸皇子(後の聖徳太子、今の教科書ではそう呼ばないようですが)と蘇我毛人(蘇我馬子の息子)が同性愛の関係にあったり、
厩戸皇子に超能力があったりと、パッと見には奇想天外なお話でもあります。
とはいえ、とても面白い作品で、
人間愛の究極は同性愛にあり、
哲学を極めるとある程度、物事を自在に動かせる超能力のような力を得ることを心のどこかで認識している人や、
物語の底流にある壮大な宇宙観に興味を持てる人は、
人生において一度は読んでおきたい作品ではないかな、と思います。
さて、前置きが長くなりましたが、
先日『結婚して、破廉恥になる人』というのを書いたその補足です。
「本当に好き」でなくても、
「学歴が高くて、経済力があって、背が高くて、優しくて、きちんとした仕事をしている立派な旦那様なら、
結婚しても損はないのではないの??
と訊かれて思い浮かんだのが、
この『日出処の天子』でした。
愛情の支えのない関係の末路、
配偶者を軽んじ、行いに慎みがなくなり、中庸を欠いた生き方の先を、この作品は端的に描いているように思いました。
※以下ネタバレ注意!
この作品の終盤、厩戸皇子は全身全霊をかけて愛した蘇我毛人を決定的に失います。
そして、失意の先で厩戸皇子が選んだのは、母の面影を宿す知能の低い童子。
この童子は作品の中では「痴れ者」と記載され、まともに言葉も交わせない子供ですが、
畦道を歩いているところを拾って厩戸皇子はこの童子を妻にします。
その理由は、当然その童子を愛したからではなく、
立場上結婚が必要で、かつ毛人を断ち切り毛人が連なる蘇我家から天皇に実権を取り戻すため、家系を盤石にすることが目的でした。
(よってこの痴れ者の童子と子をたくさんもうけます。)
こうして厩戸皇子は「本当に好きではない人」と結婚するわけですが、
その歩む道は暗く、当てもなく基盤もない世界として描写される一方、
その結婚以降、権力掌握に向けて過激に邁進する厩戸皇子は恐ろしい形相で描写されてもいます。
毛人を失った厩戸皇子には遠慮も配慮も気後れもなく、
誰の声にも耳を貸さず、我が道を突き進むのですが、
その薄暗い結婚と中庸を欠く様に毛人は心をいためます。
しかしそれは最早愛情に起因するものではなく、哀れみによるもの。
結果として厩戸皇子は毛人を失い、
まったく配慮や慎ましさを必要としない痴れ者の童子を妻に得て躍進します。
(十七条憲法や冠位十二階制度を作りましたね。)
しかしその有り様は中庸を欠き、一時の繁栄は得るものの最終的には厩戸皇子の上宮家は滅亡します。
私が「好きではない人との結婚」で思い浮かべたのはこのお話でした。
簡潔にいえば、
好きでない人と結婚すると、
あるいは愛情を欠くと、
中庸を欠くようになり、いずれその結婚ばかりでなく、生き方そのものが破綻する、ということ。
この作品はそれをとても切なく分かりやすく描いてあります。
なお、
そのアンバランスの中でしか成し遂げられないことというのもあるので、
何が良くて何が悪い、ということでもありません。
しかし、
「破廉恥」というちょっと衝撃的なワードを使ったように、平穏な普通の幸せな生活からは遠ざかるように思っています。
以上、あくまで私見であり、
作品の趣旨も必ずしもここに書いた通りではないかもしれませんが、
私はそのように感じた次第。
参考にご案内いたします。