金烏玉兎庵

胸の星は最後に光る?

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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胸の星は最後に光る星、
といわれるそうです。

とある算命学を教えておられる人のブログで、そのことに触れ、
胸の星から説明するのはナンセンス、
ということを書いてあるのを拝見して以来、
そうかな?と考えつつ、検証を重ねていました。

感覚としては割と幼少期、それも生まれたばかりの赤ちゃんの頃から、その性質は見られるように思います。

貫索星が胸にある子供は靴下を履くこと一つを取っても履かされるのを嫌がり自分で履きたがるような独立性を示すと教科書にはありましたし、
牽牛星を胸に持つ子は子供の頃からプライド高く負けず嫌いであったりするもの。

しかし、最近気づいたのですが、
「胸の星が光る」
ということの意味は、
単にその性質の要素が「表れる」とか「示される」ことを言うのではなく、
その胸の星の「本質」を光らせる、
本人がその自覚と自負をもって、
能動的に、場合によっては戦略的に、
その本質を光らせる、
ということを言っているのかもしれないです。

例えば牽牛星であれば、
本質が光るには内次元を構成するもう2つの星、
禄存星の支えを得て、
玉堂星に向かう流れを必要とします。
その星を持たなくても、
禄存星的な愛情奉仕と回転財の性質や考え方を前提とし、
玉堂星的な伝統と正当な知性に向かう質を備えて初めて、
牽牛星の誇り高い大義に仕える質が光りはじめるわけですが、

そうした性質を積み上げて構築していく先に、本当の意味で価値ある美しい牽牛星が光るのかな、と。

さらに深読みすれば、
「胸の星は最後に光る」というのは、
単に胸の位置にある星が光ることのみならず、
星図全体の星を光らせたそのバランスの先で最後に光るのが胸の星、
という意味なのかな?とも思いました。

私はこのことの正確な答えを持ち合わせてはいないのですが、
何かしら偏りのある星図を調和の中に光らせるというのはかなりの難題です。

しかし自分を見つけ自分の持つ資質を調和の元に統合するというのは、
そもそも難題であり、人生をかけて取り組んでいくべきもの。
そしてその価値があることでもあります。

コトの真意はひとまず棚に上げて、
その難題に取り組んでみても良さそうな気がしてきました。

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