宿命の稼働、ということを常々書いていますが、
厄介な現象を生みやすい命式の場合、
敢えて宿命の稼働に一生懸命になる必要もないのかもしれないな、と思うことがあります。
例えば、
身弱の星が壮年期にあると波乱運で、
離婚や転職などをしやすい傾向、
そうでなくても何らか一度落ち込むといわれます。
これは、現実における弱さによると説明されたりしますが、
身弱の本質にある精神性に目覚めるには、そうした波乱や落ち込みを経験する必要があるという面もあります。
壮年期身弱の人が、
一生懸命頑張って「全力で」自分の個性を生きていく先には、ほぼ確実にこうした波乱があります。
しかし、個を発揮することなく、
枠の中でおとなしく生きている場合は、案外とこうした波乱には見舞われにくかったりします。
つまり、宿命を稼働させないほうが「平和」ということ。
得るものは少ないかもしれませんが、少なくとも波乱や混乱に直面することは少なくなるように思います。
中殺やら対冲などがあって家族や配偶者を得ることで波乱を呼ぶ命式をお持ちの方が結婚してお子様がいて平穏に過ごされている方というのもけっこうおられますが、
本来の大きな飛躍の潜在力と引き換えに、そうした平和を手にしているのではないかな?
と感じることもあります。
もちろん、命式にある星の並びやら後天運に巡る星やらによる部分もあると思うのですが、
宿命の稼働は良いことも悪いことも活性化するので、
敢えて控えめに「普通」の範囲を超えない=宿命を稼働させない
ことで、平和に生きていける面もあるように思います。
その場合、六旬を超えられないということはあるかもしれませんが、
それすらも、大きく逸れる(異なる宿命を全力で生きる)ことなくそこそこの生活を送る分には、案外と問題なく生きていけているのではないかな?
と思ったりします。
星の性質は何もしなくても現れるものですが、
陽転するとなると、その本質を「全力で」生きる必要がでてくるわけで、
「すごい命式」をもっているのに割と普通な人というのは、
その「全力で」生きることをしていないもの。
勿体無いなぁと思うことも多いのですが、それはそれで幸せ、という考え方もあるのかもしれないな、と思いました。