海外ドラマ『リベンジ』を観ながら気づいたことがあります。
上流階級の人たちは悪いことをしても大して苦しいことにならないのに、
善良な下層階級の人たちは何かにつけて酷い目にあう、ということ。
コンランやビクトリアは悪事を重ねても大して大きなアクシデントにあわないのに、
ジャックやデクランは、割と善良に生きているはずなのにやたらと酷い目にあいます。
まぁ、ドラマといえばドラマなんですが、
ふと思ったのは、
ジャックやデクランはやたらと感情的に怒りすぎ、
一方でコンランやビクトリアはけっこう大変な事態においても動じないということ。
引き寄せの法則に連なる「波動の法則」においてよくいわれる、
「怒りは破壊的なエネルギー」
なので、怒るとろくなことがないですよ、という教えを思い出しました。
つまるところ、
コンランやビクトリアは様々な問題に遭遇しつつも、にこやかに泰然自若の風情でコトにあたるから面倒なアクシデントに見舞われず、
ジャックやデクランはやたらと怒りすぎるから、やたらと面倒なアクシデントに見舞われるのではないか?
とそんなことを考えた次第。
もちろん、
最終的にはコンランにもビクトリアにも天罰が下るわけですが、
目先の面倒に回られることがほとんどなかったその理由は、
あの泰然自若とした風情にあったのではないかな?と思いました。
算命学においては、
精神性の高い人は禍にあいにくいといわれますが、
コンランやビクトリアは、ある種の精神性を備えていたのだろうと思います。
しかしその彼らの末路を考えるに、
精神性の高さというのも、やはりメッキやその場しのぎではダメなんだということもまた考えました。
上面においてでも、精神性の高さを持っていれば、目先の禍は避けられるかもしれませんが、
その本質までは誤魔化すことができず、
いずれより大きな禍を受けることになるということのように思います。
ちなみに、さらに補足するなら、
殺人に手を染めるまでのコンランやビクトリアというのは、
視聴者的には「かなり酷い奴」ではありましたが、ある意味では彼らの性質、彼らの本分を体現していたために禍を受けるに至らなかったけれど、
その本分を超えた、本質的な悪事(殺人)に手を染めてしまったがために禍を受けた、という見方もあります。
ドラマではありますが、
そうしてみると、自分の行いを振り返り見直すよい教材として捉えることができるかな、と思いました。