Facebookを見返していたら、
去年の今頃書いたことにハッとしました。
天中殺は入るところと出るところが一番苦しいといわれますが、これは昨年、天中殺に入ったばかりの時のこと。
………
先日、幼い子供を実家に預けたからという前職の友人と10年ぶりにお酒を飲みながら、
「結婚しなくて本当に良かった」
ということを言ったら、
「10年前は負け惜しみだと思ったけど、今はすごく納得する」と言っていました。
それはそう。だって10年前は負け惜しみだったし。
…と、思いつつ、でもね。あと10年経ったら、また逆のことを考えるかもだよね、と、そんな話をしました。
「きちんと痩せなさいよ」
と、痛いことをガツンと言ってくれるのも10年前の私を知っているからで、
「相変わらず毒舌ー笑」
と、手厳しく言いたいことを言うのを面白がってくれるのも、若い頃の一番尖っていた時期を一緒に過ごしたからで、
ちょっと言えない、書けないあれこれを、お店に根っこを生やしながら語り合えるのも、苦しい時間を共有してきたから。
貴重な存在です。
今が苦しくないかといえば、
昨日、口の中に血の味がして、歯を強くくいしばっていることに気づいてハッとしたのですが、
今は今で、とても苦しい。
でも、若い頃と違うのは、あの頃よりは多くのものを得て、自分が欲しかったもののいくつかを手にして、
その分、「苦しい」と言うことを共有できる存在が少なくなったということ。
ある意味、というかとても、孤独だな、と思うことがたまにあります。
いや、その存在が少なくなった、というより、
自分がそういう「苦しい」を、共有することで解決するというやり方を選択しなくなった、というほうが正しいのかもですが、
自分の思う「あるべき在り方」が明確になればなるほど、自分の中で解決したほうがいい、解決できてしまう、ということでもあるのかも。
孤独を感じたとしても、それもまた心地よかったりもします。
孤独からしか生まれないものもあり、そうしたものの美しさを私は好んでいる、というのもあります。
現在、天中殺なのですが、
天中殺中は、「繭の中で過ごす時間」という言われ方をすることがあります。
変身、成長に向けての「準備期間」です。
ネガティブなことが起こると言われますが、要は、飛躍の前にはしゃがみこむことが必要で、その期間ということ。
「苦しい」のは当たり前で、そこでジタバタしない。遣り過すのが良いのだと思います。
それにしても、歯をくいしばるほどのストレス、久しぶりです。
仕事の負荷が高まっているのは自覚していましたが、今の職場ではあまり想定していなかったので油断しました。
うまく解放する方法を見つけようと思います。