すみません、昨日は途中で寝落ちしてしまい、アップできませんでした。
言い訳がましいですが、西方に対冲などがあると、宣言してしまうとうまくいかないもの、有言実行にはならないタイプです。
よって今後は不言実行を心がけようと思います。
さて、接運の続きです。
まず、接運の禍の避け方は以下の2つです。
①生活状態を変化させない
②常に最低最悪の状況を想定し、慎重に、そして心の準備をして進む
要は、一つの島から別の島に渡ると想定し、その島の間の海はとてもアンバランスで危険な環境なので、
余計なことをせず、とにかく次の島に渡ることだけに集中して過ごしましょう、
というような時期ということです。
次に接運の良いところです。
天中殺と同じで、形の残るの、実を持つもの、現実世界におけることでは何かとうまくいかず、問題が起こりがちですが、
形のないもの、精神的なものにおいては、非常に得るものがあるといわれます。
精神的な気づきや発見、得心を得て、新たな自分を構築する基盤を作ることができる、そのきっかけ作りには良い時期といわれます。
その意味では、
天中殺期間は学びの時期として最適といわれますが、接運期間中も、学びの時期と捉えて内向的に過ごすと良い時期といえます。
接運やら天中殺やらやたらと「大人しくしているべき時期」ばかりがあるんですね…という反応をいただくことがあるのですが、
太極図の波型が陰も陽も同じ幅で高低を形作っているように、
守りの時期と攻めの時期は同じだけあります。
天中殺いえば、
タイミングのサイクルは12に区分され、
そのうちの最も守りに徹する時期が天中殺であるということで、
その期間に入る前には減速期間、
その期間を超えた後には前向きな機運に向かうための助走期間があり、
実質的には、外向的な期間と内向的な期間は半々になっています。
大運にしても、
接運は前の大運10年と後の大運10年の20年に対して5年ではありますが、
運の山を登って降るそのプロセスの中では、接運とされない時期にも準備や減速の期間があるため、
やはり実質的には、外交的な期間と内向的な期間が半々です。
それが自然のリズムであり、モノゴトの仕組み、運の波動の姿なので、
そう理解しておくと、無駄に力むことなく過ごせるように思います。
現実世界に生きていると、
仕事やら世の中の流行や傾向に流されて、
「今はじめないと!」とか、
「今起業しないと!」とか、
思ったりするものですが、
自然のリズムを無視して動いても、なかなかうまくはいかないもの。
それを腹に落とすのはなかなか難儀なことではありますが、
何かことを成すにはこうしたリズムに沿っているほうがラクに進めることができます。
もちろん、
難儀なことを一生懸命、自分に鞭打って頑張るのも、無駄ではありません。
過酷な山を登ることで、足腰が鍛えられ、基盤を盤石にすることができることもできます。
そんな中でも天中殺や接運の期間というのは、足腰を鍛える前に滑落する危険のある時期なので、身長に過ごすのが良い時期である、ということです。