金烏玉兎庵

母の他界

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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母が他界して一週間と少しが経過しました。
救急病院に運ばれてからは約二週間。

逆にいえば、二週間前まではふつうに生活し、食事もし、車も運転していたということで、
まだ、本当に起きたこととも思えない、不思議な感覚の中で過ごしています。

「そういう時期だったのか?」
…という問いについていえば、
そういう「時期」であったともいえるし、
そういう「宿命」であったともいえるし、
そういう「状況」であったともいえて、

人が他界するときの理由というのは、
決して「一つだけの原因」ではなく複数の原因が重なっているものでもあり、
挙げていけばキリがないのですが、

ただいえるのは、
母は平均的な健康寿命くらいまでは健康に生活し、そして子供の手を煩わせることなく、介護や施設のお世話になることなく他界した、ということです。

子供の立場でいえば、
介護の覚悟もあったし、
施設の費用も準備していたのに、
…と、思うところですが、

そう考えると、
親としては立派な最期であったともいえて、
逆に、私も弟も、
母の死を無駄にしない生き方をせねば、
…と、身が引き締まるような思いでいます。

親の他界というのは、
必ず子供を大きく成長させます。

片親の他界も子供の成長を促すものですが、
父母がともに他界すると、子供は否応なく大人にならざるを得ず、
その意味でいえば、母の他界というのは、そのためのトリガーという意味もあるのかな、と考えています。

もちろん、今は悲しみに暮れ、一日先のことも考えられないほど、ただただ目の前の現実を生きることに必死なのですが、

父の他界が私を算命学に導いたように、
母の他界もまた、何かメッセージがあるのかな、と、そんなことを考えている次第。

だいたいは、1年とか2年とか、それくらいの時間が経過して、
悲しみが優しい記憶に変わるくらいの時期にそのメッセージはやってくるように思いますがどうでしょう。

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