安部首相との食事会に、石破派だけが呼ばれなかったことについて二階さんが「内緒でやるほどでない」と言ったそうですが、
コトの趣旨は「秘密の内容」の有無ではなく、「石破派外し」を衆人環視のもとで行ったことにあり、
なんとも寝ぼけたフリした狸親父っぷり。
しかし、政治家たるものこうでなければ務まらないものでもあります。
「石破派外し」
について、
仲間はずれは良くないとか、
堂々とやれ、
などという意見がいくつか記事になっていましたけれど、
この「外し」を「イジメ」のような捉え方をするのは的外れな意見と思います。
常識的ではあるけれど、本質が見えていない人の意見とでもいうべきか。
もちろん、敢えての大衆向けポーズなのかもしれませんが、
その本質は戦略・軍略です。
世の中には、
「これはやってはダメですよ」と教わるけれど、戦略・軍略的には有効なことというのはいろいろとあります。
子供の世界ではダメと教育されるけど、
ビジネスの世界では作戦として採用されること、という言い方もできます。
こうした「衆人環視のもとでの仲間はずれ」もその一つ。
他にも、「悪口・陰口を言う」とか、
「徹底的に叩きまくる」というのも、
使い方によってはかなり効果的な戦略・軍略です。
多用すると信用を失う可能性もあり、
諸刃の剣ではありますが、
政界や経済界の頂上決戦や空中戦においてはかなり頻繁に使われていますし、
田舎の狭い地域内での人間関係や、
古い会社の古い人たちの間でも普通に利用されていたりします。
これらは、都市圏や新しい組織、学校などでは厳しく戒められたりしているのとは対照的であり、世のダブルスタンダードの一つ。
一般的には決して推奨するものではないですが、力関係を張り合う場所においては、こうしたある種の禁じ手も身につけておかねば生き残れないという面もあります。
これを東洋思想的に言い換えれば、
平和期においては仲間はずれや悪口・陰口、ガチンコの喧嘩はNGですが、
動乱期においては排除や陰口、ガチンコの喧嘩も戦略として必要である、ということ。
前にも書きましたが、
政治の世界や経済の頂上決戦・空中戦、古い土地の世界というのは、
平和な時代にありながらもその現実は動乱期と同じロジックで物事が動き行われているということです。
ちなみに、
例に挙げた世界でなくても、
どんな分野であれより高度な、「なんとなく平和に」やる水準を超えてくるとこうした動乱的な世界は常にあります。
その道の家元争いとか大学の教授選、様々な分野の協会の理事長選なども同じような感じ。
なので、何かの分野を極めようとするなら、こうした動乱の世界のルールというのを知っておく必要があるのだと思います。
学校教育において学ぶことを前提にその世界・水準で戦うのは、鎧兜に弓刀を備えた人たちに徒手空拳で臨むのに同じです。
何につけ、上り詰めることを目指される方は心しておかれると良いと思います。