先日、貫索星の頑固さについて書きました。その補足です。
貫索星の頑固さは、知性理性に支えられて初めて「頑固さの良さ」が出ます。
知性が伴うこと、
言い換えれば玉堂星に支えられることで真の良さが出ます。
知性を伴わない頑固さは私的な「我」に過ぎず、その価値を失います。
真の頑固さとは、出処進退をわきまえて、発揮して良い時と悪い時を判別する力を必要とします。
真の頑固さは、その先に孤独の世界があります。
真に自己を貫くことは、人との和の中では成立し得ず、孤高の立場に立つことを覚悟してこれを行わなければなりまけん。
もし、孤高孤独孤立を恐れる気持ちがどこかにあるなら、頑固さを出すべきではありません。
孤独を愛してこその頑固さ、それは調舒星の世界です。
頑固の終局として生まれる孤独は、生涯理解者を得ることができないかもしれませんが、しかしそこに貫索星の真の守備力があり、言い換えれば「守る」ことは孤独との闘いとも言えます。
これを並べると、
玉堂星(陰水)→貫索星(陽木)→調舒星(陰火)という流れになります。
これは、陰陽五行の流れですが、そこにあるべき生き方のコースが示されています。
これは、人間の姿勢がもたらす結果の、一貫生ある道筋とも言えます。
こうした一貫性のあるエネルギーの発揮が、人間としての幸運につながる資格を形成します。
前に、大きなことをなすのに必要な「気・心・体」について書きましたが、
貫索星の独立独歩を真に光らせるためには、このように玉堂星の支えを得て、その目的地に調舒星をおく必要があります。
これが貫索星の「気・心・体」であり、高次で星を光らせるために必要な要素といえます。
では、調舒星はどうかといえば、
調舒星(陰火)は貫索星(陽木)の頑固さに支えられ、禄存星(陽土)に向かいます。
貫索星(陽木)→調舒星(陰火)→禄存星(陽土)という流れになります。
人間にとっての孤独とは、頑固な守備力(貫索星)に支えられ、愛情と奉仕(禄存星)を目的としたものでなければなりません。
「孤独」というと、世の中から外れた寂しい姿を連想しますが、真の孤独とは、自己の精神確立に向かいます。
それはある種の解脱の世界であり、それを繰り返すことによって心の次元が上がっていきます。
言い換えれば、こうした孤独的な精神の次元上昇には、自我(貫索星)を完全燃焼することになるわけですが、
それによって多くの人たちを惹きつけ、そして彼らに対して豊かな愛情と奉仕を向けることができるように(禄存星)なります。
これは、多くの人を真に愛そうとすれば、真の孤独を必要とする、ということでもあり、
「孤独の中に愛が生まれる」というのが東洋の思想の源流にあります。
真の孤独とは「虚」であり「無」であり、すべてのエネルギー、自尊心やプライドを含め、すべてを燃焼して無となり虚となったところに一つの解脱が起こり、真の愛が生まれる、ということです。
なお、調舒星と七殺の関係にあるのは牽牛星(陰金、自尊心)ですが、これはなぜかといえば、
真の孤独の世界へ進む最大の邪魔者となるのが自尊心であることによります。
自尊心ゆえに孤独を恐れると、真の愛は生まれず、自尊心が満たされることもありません。
真の自尊心(牽牛星)とは、頑固さ(貫索星)に支えられた孤独(調舒星)が、真の愛(禄存星)を得た先に、その愛に支えられて発揮されるべきものです。
(参考文献:原典算命学体系第四巻)