金烏玉兎庵

徳を積むことと繰り返すこと

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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「徳を積む」「徳をつける」には「同じことを繰り返すこと」と教わって以来、いろんなことを「同じことを繰り返す」ことにしています。
ランニングとか、自炊とか、泡洗顔とかいろいろ。
そんな中で気づいたのが、
同じことを繰り返していると、セルフコントロールがしやすくなるということ。
ある種の自制心というか。

 

一昨年までの何年か、
自分の気持ちのままに自分を自由にする、
ということに取り組んでいました。
そのさらに前の10年くらい、恐ろしく多忙を極め毎日深夜まで働く生活の中で、
自分の好きなことも、やりたいことも、目指す未来も全くわからなくなっていたので、

自分が何を好きなのか?

自分の気持ちはどこに向かうのか?

を、知るために、片端からいろんなことにチャレンジしました。

でも、自分を自由にし続け、色んなことを日替わり、月替わりでチャレンジしていくと、

驚くほど色んなことが支離滅裂になり、混乱し、我儘にもなり、結果としてしんどくなりました。

そのおかげで、
いろんなことにチャレンジし、
いろんな人に出会い経験して分かったこともたくさんあるので無駄ではなかったと思うのですが、

取り組むことや向かう方向が変わるたびに、

「気の流れ」が変わり、

引き寄せるもの」が変わり、

バラバラとした世界の中いた気がします。

それを外側から見れば、

「一貫性のない人」という評価や、

「落ち着きのない人」という印象につながったかもしれないな、と思います。

 

同じことを繰り返していると、調和が生まれます。
さらに「良くする」ための視点に気付くし、悪くなりそうなときの変化にも気づきます。
確実に「何かが進歩してる」感じもあります。

また、周りから見ても、

「〇〇の人」という一定の評価や安定した印象を与えられるように思います。

派手で過激であるわけではないけれど、安心感もらあるかもしれません。

 

そうしたことを続けていると、

自分をその「繰り返し」のストリームの中に留めるために自制したくなります。

自分を自由にすることと、
自分を「繰り返しの中に置くこと」は、
多分高次において統合できることで、

たぶん論語にいう

「心の欲するところに従えども矩を喩えず」

と同じようなものなのかな?と思います。

そのプロセスにおいて、私は今、その繰り返しの中に身を置くことで、自分を自制、コントロールするフェーズにいるのかもしれないです。

いずれにしても、心地よいです。

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