六十干支を学び直しているのですが、
そんな中で面白いな、
と思うのは、
同性愛や異常愛の傾向も、
「普通のこと」
として挙げられていること。
あるいは、離婚や片親、子供がいないなどどの事象も、
60分の1かもう少し高い確率で、そうしたことが起こることが予見されているということ。
現代社会において、
禁忌なことや常識はずれなこと、
避けるべしとされること、
あるいは変わったこと、
とされるようなことを含め、
「自然な人間」
として否定されていない点がユニバーサルな感じです。
前に「妾運」のことを書きましたが、今学んでいる二重破を持つ人は「同性愛」や「異常愛」がふつうの人。
ハンディキャップを持ちやすい命式というのもあります。
「常識」に揃えて括ろうとする現代社会より、「多様性の社会」をそのまま映すところが興味深く、腹落ちしやすいです。
自分らしくあることを追求していくと、
自分のもつ干支に象徴される性質に収斂されていきます。
干支の意味を知らなくても、
自分の性質を真正直に掘り下げて、
本心望むことをきちんと認識していったあとで干支の意味を知ると、
陰陽五行思想や森羅万象の法則が、
正確にこの世界を編んでいることを知ることができます。
気が遠くなるほど深遠な叡智が、
あるがままの自分が自分としてあることを認めてくれているような、
後押ししてくれているような、
揺るぎない安心感を与えてくれているように感じられるようにも思います。
常識人であることとか、
社会的な評価を目指しあるいは得て生きることが必ずしも調和をもたらさず、
非常識に生き、
世の人に不思議がられながら生きることが、調和をもたらすこともあることを知ることができます。
もちろん、
常識的に平和に生きるのがその性質であることもありますし、
世の評価を得ながら生きることをその性質とされる場合もありますが、
その場合であっても、
それが自らの性質であることを認識することにより、
もっと生き生きとした躍動的な気をもって、
能動的な意識を持って在ることができるように思います。
自らの本質的な性質を知り、
その性質を発現、発露させていく生き方こそがあるべき道。
そう分かっていても、
「なかなか一歩が踏み出せません」
と思うものですが、
そう思う時点で、自分の自然な姿を歪めてしまっているのかもしれないな、と思いました。
なお、
自分らしくあるための一番の足かせは、
親や配偶者などの家族といわれますが、
たぶんそれ以上に重たいのは自分です。