世の中、
悪いことばかりしている人がなぜかうまくいっている、ということがあります。
あるいは、
性格が捻じ曲がって見えるのに、なぜかモテモテの人、というのもいます。
一方で、
すごくいい人なのに失敗続きの人とか、
とても頑張っているのに陽の目を見ない人、というのもいます。
多くの場合、
こうした人たちを「別の視点」から見ると相応に理由があることが分かります。
例えば、
「悪いことばかり」に見えることも、もっと別の次元で多くの人に役立っているとか、
「性格が捻じ曲がっている」けどすごく素晴らしい芸術的才能で世の中に役立っているとか、
「すごくいい人」が実は表面的にいい人なだけであるとか、
「すごく頑張っている」のが自己満足でしかないとか、です。
こういうことは、
割と分かりやすい「原因と結果の法則」であり、物事の自然な法則・道理の当然の帰結として起こることで、
こうしたアクションや目に見える要素の積み重ねと組み合わせによって起こる結果というのは、
丁寧に物事と自分の行いや心のあり方を対応させていけば、ある程度理解も予測もできます。
しかし、実は要素は他にもあります。
例えばその時期や場所という要素や、
当事者の性質(誕生日からわかる保有する気など)の要素というのがあり、
それを織り込むと、より精緻に、物事の筋道と結果を読むことができます。
算命学は善悪吉凶を論じないのですが、
要素の関係や組み合わせによって、
広がりやすい、まとまりやすい、
歪みやすい、分裂しやすいなどといった法則があり、
そうした要素を含めて考えることで、
それによって求める結果が得やすいとか得られにくいとかが変わってきたりします。
また、これも要素の一つですが、
与えられた宿命が未消化の場合には足留めをくい、なかなか物事が進まない、ということもまたあったりします。
起こる結果というのは、
そうした様々な要素がすべて織り込まれた結果として起こるもの、
いうなれば、神の法則・森羅万象の摂理の集大成であるので、
望まれるのは、その集大成たる結果を謙虚に、そして真摯に受け止める姿勢です。
丁寧に精緻に見ていけば、
起こる出来事や結果には様々に理由があることが分かります。
言い換えれば、
結果や起こる出来事、物事の流れに絶対の信頼をおけば、その背景や成り立ち、根拠というのは自ずと顕れてくるという言い方もできます。
「一極二元の視点はどうすれば身につきますか?」
という質問をされたのですが、
こうした出来事に絶対の信頼を置く、というのはその一つかな、と思います。
勝間和代さんの本で、
『起きていることはすべて正しい』
という本がありましたが、
まさにその視点を持つことが、一極二元の視点を得ることに役立つように思います。
そして最初のうちはすべての要素にまで思いが及ばないかもしれませんが、
出来事を信頼し続けることによって、様々な要素があることを知ることができるようになる、
私はそんなふうに考えています。