金烏玉兎庵

心の構造 車騎星と牽牛星

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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教科書からの引用です。

車騎星と牽牛星は名誉の星だけに、もともとは自己犠牲き向かう本質があります。

禄存星と司禄星は財の星の星なので奉仕や愛情が先に立つのと同様に、名誉のためには自己犠牲が必要という世の道理どおり。

言い換えれば、物事の本質が分かれば、星の稼働方法もその効果も分かるということ。

そして、どの星を持つかによって、どの道理の道を選べばいいかということが分かるということでもあります。

■車騎星の心の構造
この星は何かのための犠牲的本能というのがあります。
司禄星と車騎星の違いというのは、見かけは似ているものの本質は正反対です。司禄星は支えている人物といつでも一体となっていますが、車騎星の場合は一体感がなくても離れていても、つまり星下相手側がいてもいなくても平気なのです。
自分の働きが自分にとっては無駄であっても、誰かが助かってくれればそれが1つの生きがいとなります。車騎星の本質というのは、ある程度高めていくと、宗教以上の精神の持ち主になれます。
例えば、ここに誰もやらないイヤな仕事があったとすると、車騎星は「人がやらなければ自分がやる」というように自分でやってしまうのです。
もしたにんがその仕事を選んだらやりません。誰も選ばないことをするのです。
車騎星という星は、何かことが起きた時には必ず危険な方向、割りに合わない方向に動くという本能があります。
そのために、神さまが逃走の力を与えていると言ってもいいでしょう。
男性の場合はその精神がたくましさとなりますが、女性の場合、誰とも結婚できないような不運な男性がいると、「では私が結婚してあげる」と犠牲的な結婚をしてしまうこともあります。
よって、車騎星の人はあまり不運な人を見ない方が良いと言えます。
根底にあるのは、何のためにということではなく、誰もやらないなら自分が、という犠牲心です。

 

牽牛星の心の構造
車騎星の犠牲的本能がさらに複雑になったのが牽牛星です。
本質は一種の自己愛に近く、自分中心に物事を考えます。でも、これは利己的ではありません。
例えば、ここに失礼な友達がいたとしたら、普通は相手に対して怒るのですが、牽牛星の場合は、失礼なことをされた自分に腹がたつのです。
相手に腹をたてるのではなく、自分にです。これが自己愛というものです。
自分が加害者の立場であっても、相手にすまないと思うのではなく、悪いことをした自分が恥ずかしいと思うのです。これが自己愛の犠牲精神です。
車騎星の犠牲心は表に出ますが、牽牛星は自分との戦いなのです。最大の現象として、後悔することや反省が実に多いのです。
非常に心の葛藤が大きいということがいえます。だから、この星は精神の苦労がとても大きいのです。
そして、その苦労を表には出すまい、出すまいとして、そういうことに一種の優越感を感じるのです。
牽牛星の良さを身につけるには、大いに精神的に葛藤するのが良いのです。気楽にのんびりというのは良さがでません。
牽牛星の子供を本当に伸ばすには、直接の批判はダメです。例えば買い物等で品物を子供に選ばせ、その子が選んだものを批判するのです。間接的な攻撃に対しては素直に改善方法を探す方向に向かいます。一方、直接の攻撃にはとても強く、ダイレクトな攻撃には反発します。

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