算命学の教科書に、
『真の努力というのは己を知る者のみに与えられた行為である』
という言葉があります。
これは、
(宿命+環境)×努力=運命
という公式で示すことができます。
自らの宿命を知り、その宿命に合致した環境を得て、そこで努力することでより良い運命が開きます。
宿命に合致した環境、ということについて、
算命学はもともと家系の存続発展にその目的があり、家系における役割を果たすことが第一義となります。
その役割を果たすこと=環境の一致 です。
家系における役割は、天中殺で分かります。
子丑天中殺は初代運、
申酉天中殺は初代を発展させる二代目運、
辰巳天中殺は、現実主義のはみだし運(家系とは別のカラーの実業に向かうべき運)、
寅卯天中殺は継承された家系をつなぐ三代目運、
戊亥天中殺は、精神主義のはみだし運(家系とは別のカラーの学問・芸術等に向かうべき運)、
午未天中殺は家系の締めくくりを担う運です。
(これに宿命中殺が絡むと少し複雑になります。ここでは割愛)
また、六天中殺にはそれぞれ欠けがあり、
その欠けを消化した環境にあれば環境の一致、未消化であれば環境の不一致です。
人の運命は、宿命に一致した環境を得て初めて稼働します。
言い換えれば、宿命と環境との不一致は、同じ場所での足踏みを余儀なくされるということでもあります。
もっとも、家系の存続や運命の発展を目指さず、のんびりと生きていきたい場合は気にする必要のないことでもあります。
前に進むとか発展することばかりが幸せではなく、停滞やのんびりとした空気の中にも幸せがあり、その場合は子供や孫が発展します。
運を使わなければ、後の代で使われるということです。
自分の役割と適性というのは、
案外と自分では認識しにくいもの。
たとえ認識していても、それが本当に自分の適性であるのかについて確信を得るのは難しいものです。
とはいえ、実は普通の人は多くの場合、宿命に合った環境にいます。
多くの人が、それと知らずに宿命に沿って生きているということ。
ただ、そこに確信を得ずにいることによる足場の弱さがあります。
自らの宿命を知ることは、自分の限界を決めることにつながるのではないか?
という危惧から、現代の自由主義的価値観の中では自らの宿命を知ることに必ずしも前向きではない風潮があります。
しかし、
人は地に生まれ、天界をいただく。
故に今世に置いて天地人三界を脱することは難し。
ゆえに人は天地人三歳の理の中に生く。
という言葉にあるように、
人間は枠の中に生まれ枠の中に生きることが宿命づけられています。
たとえその枠を見ることができないとしても、その枠の存在は厳然としてあり、
その枠の中で最大に命を燃焼させることが、良い人生を生きるということでもあります。
その意味では、
陰占を知り、陽占の星を知ってそれを光らせることは、与えられた枠を知り、その枠の中で自らの役割を果たすということにつながり、ひいては充実した運命の展開に安心して向かうことができるということです。
ぜひ、多くの人がその宿命を知り、安心して、そして全力でその運命を開いていかれるといいなと思います。