卒業した学校に再び足を運ぶということは、ノスタルジックではあるけれどそれ以上ではない、と感じる人は、前に進みたい人です。
留まりたい人にとっては居心地の良い場所であったとしても、前に進みたい人にとっては違和感を感じる場所に変わっている、というのもよくあること。
新たな、新鮮な驚きを感じさせてくれるものとか、
そこで取り組み始めた新たなテーマを共有できればまた別ですが、
キラキラとした学校生活は、次のステップを構成するものであって、そのステップに留まることは、階段の踊り場にたむろすることに似ています。
(もちろん、先生や事務員の人たちにとっては、そこは「ステップ」ではなく「永遠の場所」であったりすることもあります。)
私は自分の母校や前職の会社を懐かしむことがなく、「かつての友人」とか「かつての同僚」と付き合いを継続することも、一部を除いてほとんどありません。
10年住んで大好きだった豊洲も、引っ越して「過去」になって以来、一度も足を踏み入れていません。
市場ができたとかオリンピックが来るとかいう一般的に「新鮮」といわれるものがあっても心は動きません。
前に住んでいた西新宿も、最近でこそ仕事がらみで行くことはありますが、積極的に行きたい場所ではないし、そうなることもないだろうと思います。
こうしたことは、
西の対冲と東の半会があると、それが自然です。
西の対冲は過去を破壊します。
いわゆる「有終の美」というのがありません。
ゴールだと認識した途端に壊れます。
もっといえば、
安心できる場所になった途端に、積極的に自分から破壊します。
そして、また一から作ります。
私の場合、一から作るにあたり、東に半会があるおかげで、世界はさらに広がるので、こと「成長」とか「進歩」ということが大きく進みます。
しかし、「留まる」とか「成し遂げる」というところにくると壊れます。
よって「安住の地」というのがありません。西の対冲はそんな感じです。
(大変そう、と思われそうですが、
このあたりは、私の場合、陽占で西に調舒星があると、その位置では常に緊張感を持って生きることが星の宿命なので、ある意味では「宿命を消化しやすい」ともいえます。)
結果とかゴールが破壊される西の対冲がある場合、どうすればいいかといえば、
常に「プロセス」であり続けるように、常にゴールを再設定していくことで、破壊を免れます。
例えば、
仕事で大きな評価をされた途端に転職したくなったりするので(評価が過去になると同時に壊すので)、
評価が明確になる前に別の課題に並行して取り組んでおくとか、
そもそもの課題を壮大なものにしておいて、細かいマイルストーンを設定しながら取り組むとかすれば、破壊を回避できます。
東に半会(異次元融合)がある場合、どんどん次元を広げていくような取り組みであればどんどん進むので、
「過去になった場所」でも、次元が広がるような相手であれば価値あるものにできますが、
「場所」というのは多くの場合、横に広がるものなので、方三位のような平面的に広がりのある条件の支えがない限り、再びそこに光を見ることは難しいかもしれません。
ちなみに、宿命に融合条件(会局、半会、支合、方三位)と分離条件(対冲、刑、街、破)がある場合、分離条件を先に消化する方が宿命を消化しやすいといわれますが、東と西にあると交互にきたりもするので、その流れを認識しておくと、コントロールしやすいだろうと思います。
昨日、卒業した学校にちらりと寄ってみて、そんなことを考えました。