同じようなことをしているのに、
なぜかあの人は上手くいく。
みたいなことってあります。
あるいは、
うまくいっているかは別にして、
なぜかあの人はいつも充実していそう、とか。
そして、
そういう「あの人」はなぜかいつも自分より上手(うわて)で、いいところをもっていき、何をしても身に(or実に)なっている。
同じ山⛰を登っていると思っていて、
せっせと頑張って追い抜いたと思ったら、
自分は迷子になってしまった一方で、
「あの人」は別のもっと果物🍎🍇🍊の多い平野で楽しんでいた、みたいな。
こういう「あの人」というのは多くの場合自分に正直で、ある意味自分勝手に見えます。
だから「自分」は余計に腹が立つ。
「自分」のほうが真面目にやっているのに、
「あの人」のほうばかりがもてはやされるのはなぜ?とか、
「自分」のほうが空気を読んでいいこにしているのに、わがまま放題な「あの人」のほうが色々任されているのはなぜ?とか。
さて。
…こうした状況について、
一つ算命学的に答えを挙げるなら、
「自分」より「あの人」のほうが、宿命に沿った生き方をしているからだろうと思います。
算命学は、
自分を曲げて我慢して頑張る「自分」より、
自分に正直に自分に合った役割を楽しむ「あの人」に軍配をあげます。
例えば、律音の関係というのは「共に立てない」関係ですが、
もし律音の関係の2人が同じ職場にいたとしたら、
この場合に生き残るのは、より宿命に沿った生き方をしているほうです。
自分の命式に忠実に生きているというのは、
=命式を有効に生かしている
=宿命を消化している
=与えられる役割を果たしている
ということなので、
きちんと宿命に沿った生き方をし、命式を光らせながら生きている人は淘汰されることなく生き残ることができるということ。
これは律音の話ですが、
律音ではない関係においても、
生き残る人、キラキラする人、そして勝利を収める人、というのは、
「より宿命に合った環境」において「より宿命通りの生き方」をしている人であるのは律音と同じ仕組みで、より宿命を活かしたものが生き残る、ということです。
先日来、機運の話をよくしていますが、
宿命に沿うことは機運よりも大切で、
何を置いても優先すべきことであり、それなしには本質的な役割を果たすことも大きく活躍することも出来ません。
こうして書くと、
「それは大変そう」
と思われそうですが、自由に自分に正直に生きている人というのはたいてい宿命に沿っているので問題ありません。
が、何か自分とは別の価値観、自分とは別のモノサシで生きていると、驚くほど宿命から外れていたりもするので注意が必要です。
その意味では、
いい子ちゃんのような真面目な人ほど要注意。
そして、要注意年齢は40代前後〜50代前半くらいです。
60代以降が入らないのは、
50代というのがいわゆる6旬目にあたり、宿命から逸れているとこの年代を超えることはできません。
よって60代以降で健在の人というのは、何かしら自分の宿命をきちんと消化している人だといえるから。
ちなみに、
「宿命の消化」というのは、陽占だけのことではありません。
自覚できるのは陽占のほうなので、先に着手すべきは陽占の星ですが、ゆくゆくは陰占や他の要素も消化していくことが望まれます。
その精度が高ければ高いほど、無敵になります笑
何か心あたりのある方は、
一度取り組んでみると良いかもしれません。
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