算命学の地法の勉強に改めて取り組んでいます。
同じ陰占を眺めても、干支を眺めてその意味を捉えるのと地法とでは異なります。
一般的に六十干支を最初に学び、地法はそれより後に学びますが、これについて「混乱します」ということをよくきくのですが、
多分、学びの一巡目ではだれでも混乱するので、ひとまず混乱の中を学び続けるのが良いのではないかと思います。
が、質問されたので書いておくのですが、
六十干支を学ぶときはせっせと干支を眺め、地法をみるときはそれを十干十二支にバラして眺めるとよくわかります。
地法をみるときは、画像のような立体五行の自然の姿との比較で観るので、六十干支の理解をそのまま持ち込もうとすると少し混乱しますが、
きちんと十干十二支を理解しておくとそんなに難しくないように思います。
考え方は陽占の自然の姿との一致を眺めるのと似たような感じなので考え方はそれほど難しいことはありません。
が、吉凶についてはその人のビジョンや状況によるので、なかなか一言では書きづらく、ここでは控えておきます。
しかし地法のこの考え方は、人の生きる環境の型、その人が生きやすい世界の方々を示すものなので、
人がその人生を発展させるか、
人生をどう全うするか、
ということを考えるにあたっては不可欠の視点ともいえるため、早い時期に認識して取り組んでおくことが望まれるように思います。
これをもって原典には、
『若者は無駄のない青春を送ってはいけない。無駄の中になにを学ぶかが大きな未来を作るものである』とあり、
そこに地法が人生の基盤となるものであることが示されているように思います。
※参考:『原典算命学体系』第5巻
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