割と有名なマンションプロガーさんがnoteに「さよなら、意識タカイ人」という記事を書いておられました。
もともとは「さよなら、NewsPics。」とつけたかったそうで、その記事は「私はNewsPics ドヤ顔Pickerが大嫌いです」…とはじまります。
けっこう毒のある言葉が続くのを覚悟でご覧になる方はこちら:https://note.com/near_future/n/nc58363917e56
この記事、私はまるで共感しなかったのですが、
簡単に概要を書けば、
このコロナに関して、いろいろな人がいろいろな変化の展望を述べているけれど、
そんな高尚で「かっこよさげ」な変化なんて嘘っぽいでしょ?
もっと現実に密着した、身の回りの人たちの生活の延長線上に世界というのはあるべきでしょ?
もっと生身の人による生々しい世界を見ないといかんでしょ?
…と、いうことのようでした。
なぜ、まるで共感しない記事の概要を挙げてみたかといえば、
この人の言い分を眺めつつ、
恐らく、NewsPicks の Pickerというのは北天運の人、このマンションブロガーの方は南天運の人なんだろうな、とピンときたからでです。
昨日、そのカテゴリについて説明したばかりだったので、これはちょうど良いサンプルになるような気がしてあげてみた次第。
北天運と南天運についてちょっと復習します。
昨日書きましたが、
北天運というのは、モノの考え方も活躍する場所も「思考する」ということを必要とする頭脳系・インテリ系・アート系な人たちです。
対して南天運というのは、モノの考え方も活躍する場所も現実的・実務的・実業的で、「思考するより目の前の現実」、「ビジョンよりも今やるべきことをやる」を優先する、例えば技能職・スポーツ選手、日銭を稼ぐ商売人、そして意外に思われそうですが、医者・弁護士のうちの8割くらいもおそらく南天運の人たちであろうと思います。
頭脳系っぽい医者や弁護士が南天運というのに驚かれる方もいると思いますが、彼らの8割は、創造性や思考力はさておいて、「決まり事を高いレベルで遂行することに徹する」という職業なので、その知的なイメージに反して実際は知性の星なしにその仕事は成り立ちます。
※外科医は別。創造性を発揮して手術をしなければならないので、彼らには龍高星、そして完璧主義の調舒星が必要です。
さて、北天運と南天運の星の成り立ちでいえば、
北天運というのは、モノの考え方のみならず、目の前の現実や日常生活においても、常にどこかしら「思考の世界」とつながっている人たちで、「常に思考する」在り方の結果、ときに非現実的ともいえるビジョンを描いたりするのですが、長い歴史の上での役割でいえば、彼らには人類を進化に導くという役割があります。
一方で、南天運というのは、精神性の星が星図の中に全くない、「思考する」より「やってみる」、絵に描いた餅はいらない、というタイプの人たちなので、「アフターコロナの展望」のような不確かな世界についてのビジョンなどに対しては当然に冒頭のマンションブロガーさんのような反応になるのだろうと思います。
こういう人たちは、「現実密着」「現実感」「地に足がついた感じ」がないものは歯牙にもかけず、それらを「胡散臭いもの」として徹底的に無視する傾向にあります。
けれど、揺ぎ無い現実を牽引しているのは彼らであり、キレイごとではない生々しい「人間」を懐深く受け止めてくれるのも彼らであったりします。
つまり、リアルに「生きる」ということのためには、南天運の人たちは不可欠であるということ。
世の中には、
進化に導く役割の人たちと、
リアルに生きることを牽引する役割の人たちがいます。
さらにいえば、
進化に導きつつそれを現実に落とし込んでいく人たちと、
思考しながら現実を力強く生きていく人たちというのもいます。
上から順番に、北天運、南天運、西天運、東天運、ということになりますが、
世界を構築し、その世界を人間に住みよい場所にしていく上では、どのカテゴリの人たちも不可欠の存在であり、人類の進化と日々の生活を両立し、螺旋のように次元を上げながら生きていくには、どのカテゴリもが欠くべからざる役割を持ちます。
よって、
どちらが良くてどちらが悪いとか、
どちらが正しくどちらが間違っているとか、
どちらに意味があってどちらに意味がないなどという議論は無益なこと。
…と思い、書いてみました。
この北天運・西天運・東天運・南天運のカテゴリは、一般的には適職を選ぶときに使われるのですが、ディスカッションなどをするときなどにおいて事前に参加者のカテゴリを把握しておくと、「なぜ彼はそういう思考をするのか」「なぜこの人はこういうことを言うのか」ということの理解がしやすくなり、より深みのある結果へ導くことができたりします。
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