なくし物と引力と司禄星

昨日は出社日だったのですが、朝、けっこう大事なものをなくしてしまい、一日中不安の中にいました。
会社では特に問題は生じなかったのですが、ソレがないことが不安で不安でドキドキし、「家に帰ればあるだろう」と自分に言い聞かせつつやり過ごし、速攻で自宅に帰って探してみるも見当たらず。

ソレを置いていた場所から最後に目にした場所までの動線はわずかに5m程度。
なのにその動線の中にはどう探しても見当たらないので、寝室やら書斎やらを探し、さらにはクローゼットやフードストックなども探し、
ソファの下や棚の下、果てはラグの下までも探したので、部屋中が思いがけずキレイになったのは良いのですが、
一向に見つからない…。

ハタと気づけば神棚の水をかえてなかったと、水をかえ、お札に頭を下げてお願いし、
父の写真に涙ながらに懇願してみるも一向に見つからない…。

今朝起きて、これはやはり家にはなさそうだ、とようやく気付き、
(そもそもその動線の中にない時点で家の中にはないのは当たり前で、クローゼットの中などにあったらそれこそ衝撃を受けます)
朝から思い当たるところに片端から電話をしました。

「片端から」といっても、
ステイホームを徹底していたので、自宅マンションの管理センターと警察、そしてJRの落とし物係だけですが。

結果、最後に電話をしたJRの落とし物で見つかり、本日はそれを取りにはるばる電車で一時間超の場所まで行ってまいりました。
「不急不要の外出は禁止」ですが、それは「至急・重要」なものであったので行ってきた次第。

さて、そんな出来事を振り返りつつ気づいたのですが、
意識が緩慢になると、引力が低下するのではないかな、と思ったのですがいかがでしょうか。

他のことに気をとられていたり、別のことを考えていたりすると、物理的な引力が低下する。
自分の興味が別のことにあると、大事なものでもなくなってしまう。

私はこのコロナ騒動の渦中にあって、ストレスの自覚はそれほどないものの、日々意識が散漫になっていくのを感じています。
それがおそらくその「落とし物」につながったのではないかな?と思っているところ。

ではなぜ見つかったのか?
これは、継続という徳を積んでいると、それが引力を補完し助けてくれる、というのが効いたのだろうと思っています。

前に、
「繰り返すこと・継続することというのはそれが徳をつけてくれ、引力を備える」
…いうことを書いたことがありますが、
私はここ数年、プライベートではブログを継続し(最近はnoteも加わり)、仕事では毎週・毎月・毎四半期・毎半期・毎期のルーティンな仕事を地味にコツコツ重ねています。
なんとなく、そうした「継続の引力」が、救ってくれたのではないかな?と思いました。

このあたりは、司禄星の姿の通りでもありますね。
司禄星というのは弱い引力だから、引き付けたものがなくならないように見張る必要があり、だから整理整頓をするのが得意なのだそうです。
そして、引力が弱いから、たくさんのものを引き付けることができず、だからその引き付けた「少しなもの」をコツコツと自分の手元で蓄積していくのだとか。
さらに、その弱い引力を補うために継続の徳を積んで引力を備えていく。

ちなみに、位相法で振り返れば、昨日は月支に害がめぐり、本日は日支が半会でした。
思い通りにならず不安に苛まされた昨日、心は乱れましたが、実害は現象化せず、
本日、探しどころを大きく広げた(といっても電話3回ですが)ことで、目指す結果(落とし物の回収)が得られたのかな?という気もしますがどうでしょう。

何にせよ、この一日半は緊張感が一気に高まり、背筋がピンと伸びました。
長く続いている自粛期間の中で、中だるみ感がありましたけれど、改めて抜かりなくしっかりと生活していこうと思いました。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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