ちょっとセンシティブな内容なのでnoteのサークルのほうに書こうかと思ったのですが、
割と日常的に使えそうな内容であり、サークルに書くには雑記に寄りすぎている気がしたので、メインブログのほうに書いておきます。
少し前に、「生月中殺があるひとは新しいことをするたびに飛躍する」、
ということをサークルのほうに書きました。
その仕組みに興味のある方はサークルをご覧いただくとして、ここでは「生月中殺があるひとは、新しいことをするたびに飛躍する」ということが分かっていれば問題ありません。
さて、これについて考えていたのですが、
生月中殺のみならず、「枠のない空間」を生きている人の場合には、その枠のない空間において「新しいことをする」ということに向かえば、健やかに飛躍するのではないかな、と考えています。
ちょっと前にブログの方で、
日座中殺はチャンスの神様の前髪だけをつかみ続ける、
誰もやったことのない、新しいことばかりを追うのが良い、
…というようなことを書いた通り、
彼らは常に新しいことをする役割のひとですが、
なんとなく回りを見まわしつつ思うに、恐らく、日座中殺の方というのも新しいことをするたびに飛躍している気がします。
あるいは、
特に宿命に中殺がないような人であっても、
後天運的に「枠のない空間」「現実に囚われなくなる状況」がめぐるときにおいて新しいことをしていけば、恐らくそこで同じように飛躍しているのだろうと思いますがいかがでしょうか?
もっとも、別に中殺などなくても新しいことをすれば飛躍の一つもするでしょう、
とは思うのですが、
中殺がある人の飛躍というのはなんとなくふつうの「飛躍」とは少し趣が違う印象を持っています。
そんなふつうとちょっと違うこの「飛躍」ですが、これは何を示しているのか?
分かりやすいところでは、
新しいことをすることによるステップアップとか、
そのチャレンジに伴う収入アップ、
あるいは、
家のグレードアップとか、乗る車のグレードアップというような物理的なことや、
出会う人や属す会社やコミュニティ、あるいは仕事のスケールアップや影響力の獲得など、
様々な面での「飛躍」が含まれるのだと思うのですが、
それはそれとして、そういう飛躍ももちろんあるようですけれど、
思うにそれは付随的なもの、つまり「おまけ」のようなもので、
「枠のない空間」を飛躍する場合の、その飛躍の本質というのは、
・モノの捉え方や視野の拡大
・モノの考え方や本質を捉える感覚の拡張
…いってみれば、「思考の次元が上がる」という意味での飛躍なのではないかな?
と、私は感じています。
つまり、中殺のある人が新しいことをするたびに=中殺された空間を消化するたびに、
その人の思考の次元は上がっているんじゃないかな?
ということです。
なお、「思考の次元が上がる」というのがどういうことかといえば、
二次元的に見えていたものが三次元的に見えるようになり、
三次元的に見えていたものが四次元的に見えるようになり、
四次元的に見えていたものが五次元的に見えるようになった、みたいな感じです。
「次元」というのをかみ砕いて書けば、
二元的とは、自分と対象(相手など)しか見えてない状態、
三次元的とは、自分と対象(相手など)と第三者の視点を含めて見える状態、
四次元的とは、自分と対象(相手など)と、高次の第三者・低次の第三者の視点を含めて見える状態。
五次元的とは、自分と対象(相手など)と高次の第三者、低次の第三者の視点に加え、自然の摂理・法則を含めて見えている状態、というようなもの。
さらに飛躍し次元が上がれば、自然の摂理・法則の中に神の意志を見ることができるようになります。
例えば、算命学というのは確率で語ることはできないのですが、それはそこに神の意志があることにより、そうしたその摂理・法則の「バランスをとる」視点をも含めて眺めるのが六次元、そのバランスを含めて世界全体を捉えているのが七次元にある全能神ということになるのだろうと思います。
あるいは、
二元論を平面的に眺めていた視点が一つ上がって、一極二元の視点を得るというのも「次元が上がる」ということの一つです。
さて、話を戻します。
算命学では「次元が上がる」ということにつながるアクションがいくつかあります。
例えば、干合や半会というのは次元上昇につながりますし、内次元・外次元がある場合(めぐる場合)も次元が上がります。
それと同じような感じで、
空間に枠のない中殺のある人が、その枠のない状態を消化する=新しいことをする、
…と、そういう次元が上がるんじゃないかな、と思いました。
「次元」などと書くとオカルティックですが、平たく言えば、
「捉えている世界の広さ・深さ」というものの絶対値やベクトルの多さが「次元」であり、
算命学でいわれる「精神性の高まり」というのは、「次元が上がる」ということと同義と考えてよいのだろうと思います。
さらにいえば、
社会で活躍している人、悩みがあまりない人、世事に煩わされることがない人、というのは多くの場合、
五次元から六次元の間くらいにいるのではないかな、と感じています。
ちょっとピンとこない方も多いと思うのですが、
周りを観察しつつ、そんなことを考えた次第。
…ということで、生月中殺など空間が中殺されているひと、あるいば空間が中殺されるとき、というのは、どんどん新しいことをしたほうがいいように思います。
そうでないと、多分、腐ります。
…が、あんまり飛躍しすぎると、戻れなくなることもあるので注意が必要。
ちょっと観念的すぎる内容で恐縮ですが、
多分、よくよく考えて世の中を見回すと納得できるのではないかと思います。
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