日和見主義の陰転と深さはよる陽転の仕組み

日和見主義な生き方というのは、
上手に生きていくことはできますけれど、満足することは難しいかな、と思います。

状況に応じて言うことが変わる、
相手によって態度が変わる。

…まぁ、人間、社会で生活していれば、多かれ少なかれ、そういう要素は誰しもあるのですけれど、
その「加減」というのが浅い人というのが「日和見主義」ということになろうと思います。

加減とは、深さ、といったほうが良いかもしれません。

例えば、
アレはダメだよね、というその「ダメ」について深さや奥行きをもって主張する、
そういう人がその「ダメ」と言った主張を変えたところでそれをもって「日和見主義」と非難するひとはあまりいないだろうと思います。
変節とか堕落といわれることはあったとしても、
厚み深みを備えてモノを理解しそれを主張できるような人というのは、基本的に日和りません。

つまり、日和見主義の人というのは、
どこまでも浅い。軽い。そして、中身がない。

例えば、ご近所付き合いというのがありますが、ああいうのは「日和見主義」の人でないとやってられない世界です。
あるいは、「女子のグループ」などというのもたいてい日和見主義の集団です。
なんとなく、そういう日和見主義な人たちは、ワイドショーとも親和性が高く、
例えば、コメンテーターが今日、自民党を批判していたら「そうだそうだ」とうなづいて、明日、立民党を批判してたらそれも同じように「そうだそうだ」とうなづいたりします。

…不快に思われた方がおられたらすみません。
言いたいのは、こういう日和見主義の人というのは、深いところでつながる人間関係や、モノゴトの根底に流れる本質というのをとらえることは難しいだろうというお話です。

陽占の星について、「私は〇〇星があってラッキー」みたいに言う人がいます。
そう思って幸せな人に水を差すのも何なので、ご相談をいただいた方でなければ敢えてつっこんだりしないのですが、
(ご相談いただいた方であれば、気分を害されないよう配慮しながら丁寧に説明します、責任があるので)
陽占の星というのは、深さを増せば増すほど輝いて陽転し、浅いところにとどまる限りは多くの場合、陰転します。

これは、星の深さを備えていく、その深さが一段深まるごとに一極二元の螺旋を超え、次元が高まることによります。
つまり、人間として成長し、精神次元が高まるごとに、視野が広がり視座が上がり、モノゴトの両面を捉えながら星の姿を発揮していくようになることで、
陰転の姿を昇華し陽転に向かうことができるということで、

一方、星の姿が浅い場合は、一極のない二元の部分しか見えない状況なので、あっちにふらふらこっちにふらふら、
時に、一つの星の両極の姿を短期間でコロコロと転じながら生きている、ということになったりします。
例えるなら、水面に漂う一片の葉のように、優しげではあるけれど不安定で、ひとたび嵐がきたら皆底に沈んでしまう。
…それが星の浅い姿であり、陰転の姿、そしてこれはどの星にも共通します。

日和見主義な生き方に話を戻せば、日和見主義というのは、この星の浅い生き方の姿です。

「深さ」というのをもって、誤解されたくないのは、例えば申酉天中殺の人、中でもとりわけ日座中殺の方などは、
深さなどを追い求めるべきではない人ですが、そうした意味での「深さ」とはまた異なります。
彼らは、「徹底的に軽やかに」、
「常人がしり込みするほど地盤が揺らいでいるところで軽やかに立つ」ことが望まれますけれど、これも一つの「深さ」です。

あるいは、天報星などがあると、多種多様、変転変化を軽やかに歩みわたるのが良いのですが、
そういう人は、「徹底的な変転変化」を重ねていけばよいわけで、これも一つの「深さ」です。

「軸」といったほうが分かりやすいのかもしれませんが、それもこれも含めて、螺旋の輪をいくつめぐったかというそれが「深さ」であるといえます。
よって、螺旋の輪をいくつもめぐった日座中殺の人は、軽やかだけれどブレませんし、同じように螺旋の輪をいくつもめぐった天報星も変転変化の中に軸があります。

ちなみに、「軸を持っている」といわれる星に貫索星や調舒星がありますが、
調舒星の孤独や反骨精神を嫌ってコトナカレ主義に徹し、沈黙するとか、
貫索星の頑固さやエゴを矯正しようとせっせとスピリチュアルな本を読んだりする人がいるのですけれど、
こういうのは、どこまでいっても自分の持つ星の深さにたどり着けないパターンではないかと思います。

※調舒星や鳳閣星がたくさんある場合、見切ってしまって沈黙する、ということはありますが、これはマルです。
こういうケースでは、適切な相手、適切な場所さえあればきちんと伝達本能を発揮していくことができるからです。

深さとか、軸、というのは、「絶対値」という言い方もできると思うのですが、
絶対値の大きい人というのは、アマゾンの森のような強さ多様性を秘めている一方で、
絶対値の小さな人というのは、人工的に植えられて手入れが行き届かない道路脇に植えられた花のような軟弱さと単調さがあります。

いろいろに書きましたが、
書きたかったのは、深さ、軸、絶対値を求める生き方のススメでした。

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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

6 件のコメント

  • 天報星の「徹底的な変転変化」が「深さ」ということが、とても目から鱗というか!
    晩年の天報星に入りつつ、その生かし方について、天報星は深さと無縁な星なのかと、浅い認識をしてました。
    本日も大変心に残る記事を、いただきました。
    ありがとうございます。

  • お世話になっています。申酉で日座です。実家とも義実家とも、自分から絶縁しましたが、不思議に後悔がなく、でも、人として自分はダメなやつと思ってました。この記事で救われた思いです。
    拝みたくなるくらい、ありがとうございました。

  • 青ブルー青さん
    役に立ってよかったです。
    実家義実家というのは、自由に生きるのに足かせになることがありますね。
    「後悔がない」いうのは、何よりの証ではないかと思います。そこは大事です。

  • オレンジさん
    天報星が軽さに尽きてしまうと「器用貧乏」になりますね。
    軽やかさの中に軸を持つことで「多芸多才」になります。
    意識しておきたいですよね。私も意識しています。

  • 通りすがりの甲戌です。
    「常人がしり込みするほど地盤が揺らいでいるところで軽やかに立つ」
    いたたまれなさ、疎外感を抱えて生きるなかで完全に刺さりました。
    素晴らしいです。ありがとうございます。

  • カイロンさん、コメントありがとうございます。
    甲戌、ぜひその本領を発揮されて軽やかに健やかに歩まれますよう、応援しております。

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