異界不渡りの理

昨年の本日書いたこと。
このブログにも書いていますが、タイトルを探すのが大変そうだったので、個人のFacebookよりコピペします。

この考え方は、
noteと公開ブログの線を引く、ということにもつながっています。いろいろとご不満のメールを頂いておりますが、以下のような考え方により、noteと公開ブログを分けています。

ご理解とご協力をお願いいたします。

同情を買って情報を引き出そうとする方、責め立てて自分の相談に無料で答えてもらおうとされる方からのコメント、メールは削除させていただきます旨、ご容赦くださいますようお願いいたします。

…..

先ほど、「みんな仲良く」の弊害について書きましたが、
それに関連して、
『異界不渡りの理』という言葉があります。

「我心からくる奉仕は相手の成長をとめる」とか、
「富者が貧者に財を与えると貧者は心の貧者となってさらに落ちぶれていく。」
という意味の言葉です。

人はそれぞれ各々の宿命と成長に応じた螺旋のプロセスの中にあり、
そこで各人が試練や苦難を通過しながら学びを得て自分の道に向かっています。

よって、
「人のために何かをする」
「誰かを助けてあげる」
というのはとても尊いことですが、
そこに介入することは、
それが援助であれ奉仕であれ、
その相手にとってはあまり良いことにはならない、ということです。

自分が「良いことをした」と思いたいがための援助やサポートは、
たとえその場では「ありがとう!」と言われたとしても、
長い経過の中でその相手は、
感謝より恨みを抱くようになります。

「異界」とは、
成長の螺旋の位置が異なるということですが、
その位置があまりに異なる人というのは、関わらない(渡らない=不渡り)方が相手にとっても自分にとっても良い、ということです。

成長の螺旋の位置が異なる人というのは、
そもそも知的レベルも経済レベルもかけ離れているもので、
そうした人たちが同じテーブルについても、気詰まりなだけですし、
取り分け螺旋の下の方にいる人は、
螺旋の上の方にいる人が「同じテーブル」とにつくことで、平等という意識を持ちます。

平等という思いは難しいもので、
比和や律音が厄介なものであるのと同様に、複雑な感情を生みます。
「平等なのに、なぜ自分にはこれだけしかないのか」という劣等感や、
「平等なのに、なぜ相手はあんなにも手にしているのか」という妬みややっかみを生み、それは恨みに発展します。

これは、
知識レベルや能力レベルがかけ離れているような人がより学びの浅い人を指導する場合にも同じことがいえるのですが、
「異界」にある相手に情をかけるとその関係は多くの場合、破壊的な結果に至ります。

通常、螺旋の位置が大きく異なる人同士が接点を持つことは稀で、
それぞれがそれぞれの世界で生きています。
そして、それぞれの世界で平和に穏やかに過ごしています。

しかし、
時に人は「思いやり」とか「温情」という我心によって、
自分より恵まれない人を助けようとか、
下の方にいる人を引き上げてあげようとか考えます。
本来は、そこに介入しないこと、
せいぜい関わることなく遠巻きに見守るくらいが望まれる在り方で、
自制心をもってそうあるのが一番です。

たとえ何かをするとしても、
なんらか関わるとしても、
きちんと線引きをする理性的な愛情を持ってあたるべきで、
そこに情を持ち込むべきではありません。

乞食に施しをした金持ちがその乞食に殺されるとか、
友達のように教え子を情深く導こうとした教師がその教え子たちに総スカンをくうとか、
そういうことは、『異界不渡りの理』を犯したことに起因する悲劇です。

自分の立場と役割、目的など、
先ほど挙げた「軍略五界」をしっかりと認識していれば、
こうした悲劇は起こりません。

いかに世間的に「正しい」とされていることであっても、
「軍略五界」に照らしてそれが真に正しいのかどうか、
しっかりと考えて行動する必要があるように思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

12 件のコメント

  • 奈々先生
    こんにちは!
    なんて深いお言葉ブログ。とても刺さりました。
    ありがとうございます。
    改めて日々研鑽、精進致したいと思います。
    日に新たに、日々新たに  
    胸に置いて努めたいと思います。
    本当にいつもありがとうございます‼︎

  • はじめまして、いつも拝読してます。
    いま思えば、昨年は異界不渡りの理 と、思えるような転職先にいたような気がしました。

    わたしには手が届かないと思っていたような希望職種で、舞い上がり空回り、今年には遂に解雇となり、下駄をはずされ、ある意味、冷静になれました。
    わたしは下の螺旋だったのだな。
    このブログをみて考えてしまいました。

    わたしも宿命に対沖があり、壊れて消化したかな?とも、思いますが、今は年運天中殺で新しく仕事をスタートしたので期待せずに過ごそうと思います。

    早く2年終わらないかしら~と、考えてます。もう何も起きて欲しくないですので。

    こちらのブログ、楽しみさせていただいてます。アフターコロナの時代は来ますね。大事に過ごします。
    異界不渡りの理 覚えておきます。ありがとうございます。

  • 管理職です。本来は戦略立案の立場で動かないといけないのですが、諸事情で初心者に情をかけて引き受けてしまいました。その結果、あまりにも知識や意識レベルが違う人を指導せざるを得なく、泣きたくなるぐらい大変です。失敗したと日々後悔しています。

  • みんな仲良く、困った人には親切にと教えられそのとおりにしてきました。ですが、助けたのに裏切られたり、反対に女帝だとか怖いと評判の、むしろ避けていた大先輩に救われたりと。親切が裏切られ、尽くしてないのにら助けられということが度々ありました。人とむやみに関わる危険性について考えさせられました。

  • のんちゃん
    ありがとうございます。
    引き続き精進します。

  • まりこプラスさん、いつもありがとうございます。
    大変なお仕事をされているんですね。
    管理職、それも戦略立案などをされるている方が初心者を引き受けるのは大変ですね。
    簡単に書きましたが、異次元の生物みたいに感じることがあるのではないかと思います、プロとして働いているとアマチュアほど厄介なものはありません。
    ルールや約束事のような前提条件がまるでないあたりは、まさに「異界」の存在です。
    うまくルールを設定して守らせる、ということを徹底するのが良いのではないかと思います、これは算命学というよりビジネスにおけるコミュニケーションのハウツーということですけれど。
    応援しております。

  • ゆりさん、たいへんでしたね。
    「他人と関わる」ときには線引きが大事ですね。
    情というのは色んなものを引き寄せます。
    良いものも悪いものも。
    気をつけたいですね。

  • やすこさん
    「下の螺旋」ではなく「違う螺旋」ということもありますね。
    縁のない職場は次へのステップと思います。
    おっしゃる通り、壊れた先に見つかるものもあります。
    年運天中殺は修行の期間、そこでたくさん苦しんで研鑽を積んだ先に光があります。
    応援しております。

  • こちらこそいつも新たな知識と気づきを頂きありがとうございます。

  • 奈々先生、こんばんは。

    先日Yahooニュースにて
    前澤友作氏、要求繰り返すひとり親ユーザーに苦言(日刊スポーツ)
    を拝読してて、まさにこれに当たるのかなと思いました。
    良かれと思った事が色んな次元の人から、妬み嫉みとして噴出してます。
    募金までは良かったのに、職採用に関してやり過ぎなのかもしれませんね。

  • のんちゃん、こんにちは。
    そうですね、そういうことでもあるのかも。
    ただ、前澤さんはそういう難しさも含めてチャレンジしてみたいんだろうな、という印象を持ちました。

  • 丁寧なお返事ありがとうございます。自分を大切に宿命に沿って生きていれば、線引きはできるかなと思いました。私は調舒星を真ん中にもつのですが、「嫌いな人やどうでもいい人と関わるのが嫌い」という感覚はとてもよく分かります。最近はそんな人と同じ空間にいるくらいなら、洞窟にこもっている方がマシという心境に近づいてきました。とはいえ、未熟者ですし😂、会社員でもあるので、社会人として最低限の協調性は持っておきたいなと思いました。このブログにであえて自分のもやもやが解消できたように思います。ありがとうございます。暑いのでご自愛ください。

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