豊かで平和な時代というのは、生活必需品ではないものにお金を使う人が増える時代です。
動乱の時代というのは不安定な中で生活必需品の供給が滞りがちである一方、
平和な時代は生活必需品が安定的に供給されるようになり、その価格はリーズナブルになります。
貧しい時代というのは日々の糧、日々の生活のためにひとまず自分のことを棚に上げて働くことに向かう時代ですが、
豊かな時代というのは、満ち足りて、余暇が増えるので、自分の人生や自分の興味など「個」がフォーカスされるようになる時代です。
今がどういう時代か?
ということについて、確かにコロナ禍下にあって何かと困難な時期ではあるものの、
生活必需品は安定的に供給され、日々の糧に困ることもなく、望むかどうかは別にして余暇もたっぷりあるわけなので、
豊かな時代ということになるのだろうと思います。
豊かな時代というのは、個がフォーカスされる時代であり、個の欲求を満たすものが求められ、売れる時代です。
ファッションは、オーソドックスなモノよりも個性的なものが売れ、
学校は実業につながるような学部よりも、より個性の発揮につながるような学部のほうに人が集まる感じがあります。
もっとダイレクトに言えば、
今の平和で豊かな時期というのは、
実用性の高い、オーソドックスなものよりも、個性的なものが売れやすく、ずっと高い価格がつく時代ということになろうと思います。
何を言いたいかといえば、
こういう時代に、
「安い」からという理由で無個性的なのもを選ぶとか、
単に実用性だけでモノを選ぶとかいうのは、時代に逆らう在り方なんじゃないかな?ということ。
さらにいえば、そういう在り方というのは、
人生のスピードを減速させ、出会う人の種類を緩慢にし、自分の発揮というのが濁ったものになるんじゃないかな?という気がしています。
これは、宿命と環境の一致が成ることで人生のスピード感やら出会う人の鋭さ、自分の純粋な発揮になるということに加えて、
時代に応じた在り方という要素に寄っても、人生のスピード感やら出会う人の鋭さ、自分の純粋な発揮になるのだろうということです。
算命学には、平和な時期に向く人と動乱の時期に向く人というざっくりとした分け方があり、
その分け方でいえばざっくり半分の人というのは、今の豊かで平和な時代には合わないということになるのですが、
そういう「豊かで平和な時代には合わない」とされる人も、何かしら工夫をして、うまく今の時代の流れに応じた在り方を取り入れたほうが良いだろう、ということでもあります。
「何かしら工夫」というのは、いわゆる「運命の改良」ということですが、
平和な時代においても動乱の性質を発揮する環境はありますし、動乱の時代においても平和な性質を発揮する環境はあるわけで、
今は、動乱の時代に向く人たちが、多少骨をおってでも「自分の性質を発揮する」ための環境を探すべき時期なのだろうと思います。
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