調舒星がたくさんある、
街のイベントなどにたくさん参加されている方から、
「自分の本気の道」
「副業」
を探すにはどうすればよいでしょう?
というようなことを訊かれました。
多分、先日私が「本気の道」や「人事に副業について訊いた」と書いたことからの質問です。
個人的に、
調舒星などある人は、
「何をしていいかわからない」
ような段階では、
公民館的な、不特定多数の人と和気藹々と「素の自分」で何かをすることにはあまり向きません。
孤高に自分の世界を掘り下げて、その美意識を磨き、それを顕現させていくべき人です。
それが出来るまでは、
大衆的なものに迎合することを拒み、気難しくすらあるべき人です。
前に、調舒星(孤高の表現)が最大燃焼すれば禄存星(大衆やお金を惹きつける)に向かうということを書きましたが、
調舒星を飛ばして禄存星に向かっては、そもそも調舒星が歪みます。
「インクルーシブデザイン」
という考え方があります。
これは、
高齢者、障がい者、外国人など、
通常のモノづくりにおいてはメインターゲットではない人たちをメインのターゲットと想定してモノをつくるデザイン手法のことです。
例えば「外国人や高齢者に優しい大きな文字の駅名表示」というのを作った場合、
それは外国人や高齢者のみならず、
一般の人の中の目の悪い人や注意力散漫な人たちにも役立ちます。
すると、外国人や高齢者という限られたマーケットではなく、より汎用性の高い広範なマーケットで利用されるようになり、結果として企業はメインターゲットを想定してモノを作るより儲かります。
そういう、メインターゲットにならない人たちを「リードユーザ」と呼び、ユーザー全体をリードすると想定してデザインする手法がインクルーシブデザインです。
参考:http://i-d-sol.com/inclusivedesign/
調舒星というのは、
メインターゲットを狙うとか、
メインストリームを目指すとかではなく、
そういう独自のターゲット、リードユーザに向けて表現していく星です。
ここでいう「リードユーザ」とは、
高齢者や障害者、外国人とは限らず、
自分の目指す世界観の中にいる人たちのこと。
例えば、
私も西に調舒星がありますが、
私の目指す世界観は、
「戦後風化されつつある日本古来の文化を尊び、それを生活に生かし、
個人がその才能を発揮してあることによって調和的に生きることができ、
コトの道理を知り、胆力を備えた人たちが日本🇯🇵を牽引していく世界」
というような感じです。
なので、
そういう世界にどこかしら同調してくれる人を「リードユーザ」としてあらゆる発信、行動をしています。
いかにその世界観をこの世界に顕現させることができるか?
それが調舒星のテーマです。
誤解を恐れずにいえば、
その世界観が確立するまでは、
それに同調しない人はすべて無視してもいいかもしれません。
なんといっても「孤高の星」ですし。
音楽や絵画、芸能、小説など、
芸術や学術の分野でそれをするのが調舒星的といわれますが、
「自分の世界観をこの世界に顕現させる」
そういうことであれば、何でも良いと思います。
なお、そうやって自分の世界観をこの世界のどこかに何かしらの形で顕現させた先において、
最終的に、どこかで公民館的な大多数の人たちに胴上げされて壇上に立つ、
ということようなことがあるかもしれませんが(禄存星に向かうので)、
それすらも、
ベールを隔てて大衆に向かい合う、
演出された自分として大衆に向かい合う、
というイメージです。
なぜなら調舒星は「間接」表現の星だから。
何をするにせよ、「素の自分」「ありのままの自分」で勝負すべき星ではありません。
このところ、
沢尻エリカちゃんの活躍が目覚ましいですが、彼女は調舒星の人です。
「べつに」事件で素の自分をさらけ出して大バッシングを受けましたが、
その後「芸能界向けの自分」を改めて創り上げ、演出して成功しています。
そんな感じです。
調舒星が「一人の時間」を必要とするのは、「演出された自分」を維持するのにその時間が必要だから、という面もあります。
兎にも角にも、
調舒星、それも調舒星がいくつもあるなら、
「自分のオリジナルの美意識に基づく世界観」
を構築するのが先です。
冒頭の質問に戻れば、
「自分の本気の道」は、自分の美意識に基づくオリジナルの世界観を確立した先にあり、
副業はその道の延長線上にある、
ということになります。
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