明石家さんまさんが、M-1グランプリを見ていた理由を、
「自分とキャラがかぶっている奴がいないかチェックしていた」
とお話しされていたそうです。
それを聞いて、なるほど、それって大事、と思いました。
同じ業界やソサエティにおいて、キャラがかぶる人がいると何かと厄介です。
算命学的に言えば、
キャラ=干支
なので、
「キャラがかぶる」というのは同じ干支があるということとも言えます。
つまりは律音があるということ。
前に、律音を持つ関係は、
同じ方向を目指す(夫婦とかコンビとか)のではない限り、潰し合いになるということを書きましたが、
さんまさんは、律音を知っていたわけではないと思いますが、体感・経験知として知っていたのだろうと思います。
それなりの立場がある人や、
そのソサエティでカリスマ的な存在感のある人などは、人に慕われることも多く、真似をされたりすることがよくあるものですが、
なんでも自分の真似をする人というのは最初のうちこそ憎からず思うものの、度を過ぎたら憎らしくなり、そのうち恐怖を感じたりします。
相手と自分が同じレベルに上がってくると、自分の方が淘汰されたりしますし。
それくらい、律音は厄介なもの。
とはいえ、同じ学年のクラスや会社の同期であれば多くが同じ年干支なので25%は律音です。
なので、世の中で生きていると、律音の関係にある人というのに少なからず遭遇するもの。
そういう場合にどうすれば良いか?
潰し合うしかないのかといえば、そうでもありません。
属するソサエティが違うとか、
目指すものが違うとかであれば、
それぞれの場所で自分の音を響かせることができます。
なので、律音の人に出会っても、
別の領域で生きている限り、「自分に似た人」として仲良くできるのではないかと思います。
では同じソサエティ、例えば同じクラスとか同じ場所であればどうかといえば、
螺旋の位置を大きく離すしかありません。
螺旋の位置とは、精神性の高さのこと。
平たくいえば、
人間の器を大きくするとか、
視点を高くするとか、
精神性において大きく水をあければ、それぞれの高さで音を響かせることができるように思います。
私の場合、ですが、
律音のある友人について、最初はとても仲良くしていましたが、そのうちひどく嫌悪するようになって、自分も相手もイヤになってしまったことがあります。
しかし、距離を置いて自分の世界を再構築し、精神性が向上したかどうかはさておき、東洋思想を学んで視点を高くするようにして以来、
少なくとも普通には付き合えるようにはなりました。
もっとも、彼女も相応に精神性の高い人なので、付き合い方にはいろいろと意識して気をつけるようにしています。
世の中の人は様々に個性があり、大人になればその個性を活かして生きるのが人生の本分です。
個性を生かすステータスにない人も多くいますが、もしお互いに個性を活かすステータスにいる場合、律音は破壊的にもなりえます。
「キャラがかぶる」とは「キャラが被る」と書き、「被る」はおおわれることを示します。
言ってみれば「自分がおおわれてしまうこと」ともいえます。
厳しいなぁと思うのですが、それが森羅万象の仕組み。
きちんと配慮することが必要であろうと思います。
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