官僚組織は、同期が事務次官になると他の人は組織に残れないそうです。
このことを考えていて、競い合うライバル関係においては律音というのは極めて破壊的な関係になりうるからかな、と思いました。
同期は多くの場合同い年で、年柱が律音になります。
律音は、同じ音なので理解しやすく仲良くなりやすく、同じ目的に向かう限りにおいては団結力も素晴らしいです。
が、1つの椅子を取り合う場合は同じだけに互いにわかる分やりにくいという面はあるように思います。
場合によっては、自分がやろうと思っていたことを律音の別の人がやってしまうとか、自分の立場を別の人が掻っ攫ってそこに納まってしまう、ということもあったりします。
全く性質の違う人なら仕方ないと諦めもつきますが、自分と同じ性質の人が取って代わるとなれば、その衝突は破壊的なものになります。
これに絡めて、連唐干支(干が相生、支が連なる)のことも気になりました。
この連唐干支は後の方の干支に先見性が生まれるということを前に書きましたが、
これは一学年違いであればけっこうな割合で発生するものです。
大企業でトップに上り詰めるには、同期はもちろん少なくとも前後何年かの人の間で一番である必要がありますが、先見性をもたらす側(連唐干支の生じる側)と先見性をもたらされる側(連唐干支の生じられる側)の関係というのも、少なからず影響があり、その場合、生じられる側がトップに立ったりするのかな?と思いました。(未検証なので、そのうち検証してみようと思います。)
ちなみに、連唐干支の関係は生じられる側に恩恵(先見性が生まれる)があり、生じる側は特に何もないように言われますが、感覚的には「吸い取られ感」というのがあるかな?という気がします。
その意味では、会社や組織における「一年下の人」というのはある意味では要注意であり、「一年上の人」というのは有効な存在でありえます。
連唐干支の関係にある場合、ですが。
色々と書きましたが、律音や連唐干支のこうしたことは一つの組織なりグループの中で一つの椅子なりポジションや役目なりを取り合うライバル関係にある場合のことであって、フラットな関係や協力関係においてはとても恩恵の多い関係です。
何事にも良し悪しがある、これも一つの一極二元の現れといえます。
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