算命学を学ぶ意味

算命学は統計学と言われたりします。
まぁ、誕生日から運命を割り出すものは基本的に統計学の側面があります。

自分の運命なんて知りたくもない!
と言われたり、
運命が決まっているなんておかしい!
と、言われたりしますが、

生年月日がある種の運命の傾向を示すのは間違いのないことであり、
そこから読み解けるものは「その日に生まれた人の取説」なので、
その内容を知って対策を講じることで、
自分の運命をコントロールすることができるようになる、
その意味では、それを知ることが自律的に生きるために必要である、ともいえます。

何も知らず、思うままに生きていると、
自分では「自由」なつもりでも、川の上を流されていく葉っぱのように統計通りの人生になります。
そう書くと、
いい命式ならいい人生になるから良いのでは?
と言われたりするのですが、
宿命にある偏りや後天運での破格などにより、流されているとよろしくない方向に向かうものなので、
どんなに良い命式でも、やはり自律的な修正が必要です。

自分の取説を知っていると、
努力や労力を効率的に配分することができます。

いわゆるハウツー本なども、向き不向きがあります。
論語が向く人、韓非子が向く人は異なりますし、
集団学習が向くか個人学習が向くかというのもあります。
持ち家が向く人、賃貸が向く人というのもあります。
何事も絶対的な善とか悪があるのではなく、
「世にあるものは全て善」
であって、それが誰を対象にしているかが異なるだけであったりします。

自分の取説を知っていれば、
あらゆることを効果的、効率的に学び選択することができます。
そうして修正を重ねることによって、運命の舵取りができるようになります。

宿命を知るというのは、
そんなふうに自分の人生をコントロールすることが目的です。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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