算命学の六親法という家族関係を観るルールについての個所を読んでいたら、
「成功の陰の土台になっている人たちを、決して排斥してはいかません。
もし排斥すると、とんでもない運のしっぺ返しというものがやってきます。」
という文章があってドキッとしました。
六親法によると、兄弟(または姉妹、兄妹や姉弟は除く)の運命はシーソーの関係になるといわれ、どちらかが上がるとどちらかが下がる。
三人以上いる場合が顕著で、長男が成功すると三男が落ちるし、四男が成功すると次男が落ちる・・みたいな法則があります。
ふと、石原慎太郎元都知事の家系のことなど思い浮かべてしまいました。
ちなみに、うちの父は九州の田舎から出てきた割にはたぶん成功したほうで、世界各地を飛び回り、大きなプラントや鉄道事業を指揮したりもして、華やかな職業人生を歩んだ人だと思うのですが、
そのお兄様は車の事故でほぼ寝たきりのまま30年くらい過ごしになったので、まさにシーソーだったと思います。
しかし、そのお兄様が他界されたすぐあとに、とても元気だった父が後を追うように他界したことを思うに、
父の華やかで強運な職業人生は、そのお兄様が父を支えてくれていたのだろうな、と思いました。
家系においては、運勢的に支えるために「犠牲」が生じることがあります。
こうしたことは、既に起こったことを分析的に考えるだけでも心が締め付けられるように感じるものですが、
そのような未来が見えたときに、どうあればいいのか、の答えはまだ見いだせずにいます。
それでも、こうして算命学を学ぶ中で、
家族の歴史がよく見えて、人が一人生きることの意味、それは決して自分一人のものではないのだということに思い至り、改めてこの道を学ぼうと決意を新たにした次第。
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