人が「何かを我慢する」ということの意味を考えています。
水野南北の本では、「食を我慢する(制限する)」ことが健康や子宝、立身出世につながると説くわけですが、
これは必ずしも食でなくてもいいのかもしれません。
たとえぼ、お百度参りなどでもいいのかも。まぁ、お百度参りはネガティブな気なのでよろしくないかもですが、
要は「何かを我慢する」ということ、へこみをつくることが、もりあがり、達成につながる、ということなのだと思います。
あちらがでればこちらが引っ込む、的に世の中は出来ています。
波線よりももっと立体的に、へこみとふくらみがあります。
そして、生き方や在り方、生きる場所、そして達成してきたことに応じてそのベースの部分が高かったり低かったりします。
上を目指す、
ということは、この波がたゆたうそのベースを上げていく、ということな気がします。
決して「上」にいったからといって万事幸せにはなるわけではなく、
同じようにへこんだりふくらんだりしていて、その根本的な仕組みはうえでも下でも同じ。
そして、いずれにおいても、その運命航路で操縦し進むためのブースターは、「何かを我慢する」ということなのだと思います。
その「我慢」の分かりやすいバロメーターが「食」ということかもしれません。
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