天中殺について

このところ天中殺のことを書いていたからか、立て続けに「天中殺って◯◯しちゃダメなのかな?」という質問を頂いたのですが、
天中殺は◯◯しちゃダメ、というより、◯◯する気にならない期間、というのが本来の姿な気がします。

算命学は万象学ともいい、自然界の法則を学び読み解きながら生かす学問で、平たく言えば、天中殺はその自然界における休憩期間、充電期間、そしてバージョンアップするための準備期間です。
なので、日頃から自然界の流れに乗っていれば、本来天中殺中に何かをしようとは思わないもの、というのが正確です。

但し、宿命中殺のある人は、天中殺期間内に何かをする(本来天中殺中にやるべきではない結婚とか引っ越しとか)傾向にあり、その意味では、宿命中殺保有者が天中殺中にそういったことをするのはある意味自然の法則に叶っていたりします。

西洋占星術でも言えることなのですが、
「私には当てはまりません」とか「当たっていません」という方がいるのですが、そういう人は自然の流れに乗っていない=運命が開いていない、ということであって、己のあり方を振り返り正していく必要がある、ということです。

ちなみに、天中殺中に悩みが多いとか宿命中殺があるから苦しい、というのも同じで、本来の流れの中にあれば閉塞感や異常感(普通と違う感じ)こそあれ、悩みとか苦しいということにはならないものである気がします。

自然の流れに乗っていると、本来あるべき姿勢や考え方から外れていると「お知らせ現象」があります。
たとえば、私の場合は昨年夏の骨折がそれであったと思います。
天中殺の調整期間に向けて、自分をきちんとその流れに調和させていく必要がある場合、そうしたアクシデントに遭遇します。
まぁ、骨折ほどのことが起こるのは、相当の不調和があり、かなりの反省が必要なケースであって、普通はもう少し軽いと思いますけれど。

自然の流れの中にあるということはけっこうというかかなり大事で、とりわけ天中殺期間はそれが大事です。
だから、「自分から」何かを決めるとか起こすとか、流れを変えたりせき止めたりすることは避けましょう、と算命学の本には書いてあります。

ちなみに、これは本当につい最近、算命学の先生に言われてハッとしたのですが、
宿命中殺のある人は、その生涯の期間ずっと天中殺とともにあるので、生涯の期間ずっと、「自分から」何かをするべきではない宿命でもあります。
そう書くと、かなりシビアなようですが、
宿命中殺のある自分の人生を振り返ってみても、確かに「自分から」何かを仕掛けてうまくいったことってほとんどなかったりします。
うまくいったことというのは、流れの中で、誰かの後押しや手助け、何かのきっかけに導かれて、成っていたと思います。

こういうことは、たぶん十代二十代の若い頃にはなかなか認識できない、認識できても認められないものですが、四十代ともなると厳然と自分の歴史という証拠が明確にあるのではっきりと分かります。
面白いな、と思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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