今日、算命学の思想をノートしながら、ふと、過去の歴史を含め、世界で最も深遠なる智慧の蓄積がある中国が、自国の歴史・思想を顧みないのはなんとも皮肉な話だな、と思っていました。
まぁ、陰陽のバランスからして、智慧にバランスする徳がないとその実を得られない、ということなのかも、など考えつつ、そういえば私も日本史を大して知らないことに気づき、ちょっと政治史を真面目に振り返ってみました。
伊藤博文から脈々と連なる歴代の総理大臣と時代の流れ。
半年くらい前から経済的観点から算命学の時代論を眺めつつ、一方で個人の命式の読み方などを深めてきたわけですが、
このあたりで時代論と総理大臣の命式の相関関係を見直すことによって、時代に求められる人物像、活性化する産業というのを予想する、というのをやってみたくなったというのもあります。
恐らく地政学と絡めるともっと興味深い気がしますが、それは次のステップということで。
それにしても、陽の時代から陰の時代、陰の時代から陽の時代の転換点はとても分かりやすくて考察するのも苦になりません。
動乱期(金)から始まって、教育期(水)、経済確立期(木)、庶民台頭期(火)、権力期(土)、そしてまた動乱期…と繰り返すわけですが、教育期がなぜ「教育」期と呼ばれるかというのが、見直しているとよく分かります。
「国の民の根性を教育し直す」「思想の転換期」であり、それを促す大事件が発生して、国が一つにまとまっていく。
そしてその帰結として大きな流れができる。保守、大企業が牽引する時代が経済確立期、2017年からの10年間です。
その後、庶民台頭期において様々な個人による産業が発展するわけですが、やはりここも保守寄り。
そして、基本的に、下克上的な産業や思想というのは動乱期において活況になる、というのはそうなんだろうと思うものの、さてそれを実体経済にあてはめたらどうなんだろう?ということを考えています。
ちなみに、時代論は1947年から10年区切りですが、年表を見返していると、陰陽の区切りを含めてそれぞれ5年前倒しながら読む方が適当な気がします。
このあたりは、算命学の接運(大運10年の移行期間)が5年あるのとリンクしている気がします。
総理大臣年表を眺めつつ、ちょっと意識しなければならないのは、軍人=官僚という見方が適当であろうということ。
時代論の主役の転換、ということを考えるときには、国と民、そして国は保守と革新(左傾のみならず武力派を含む、現代の日本に武力派というのが適切かは別にして)、民は大企業・富裕層と中小企業と庶民で分けて考えるのだと思います。
時代は、教育期から経済確立期に移行したばかり。そのことを考えつつ、教育期に市民大学が数多く出来たこととの符合なども感じます。
経済確立期における有効な在り方とは??
考えるのが楽しいテーマです。
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