最近、家にこもって本を読んだりパソコンで調べ物をしたり。
基本は東洋思想に関するものばかりですが、家の整備だったり料理レパートリーの拡充だったりもします。
そんな様子を見て、イベント三昧な友人に
「外に出て友だちつくったら?」
と、言われてきょとんとしてしまいました。
なるほど、そんな風に見えるのか、みたいな。
ある程度自分の人生を客観的に眺めていると、内側が整わないと外側が混乱する、逆もまた然り、ということがよくわかります。
内側とは、自分の心とも言いますが、
「家の中」とかも実際には含む気がします。
家の中が混乱していると、人生も混乱します。
また、自分の興味ややるべきことを掘り下げる時間、というのも大事で、とりわけ算命学でいうところの調舒星などあると、孤独の時間は不可欠で、そこからしか生まれないもの、というのもあります。
調舒星を持っている人が、雑多な人の中で多くの時間を過ごしていると、ほぼ間違いなく陰転する印象があります、自分を含めて。
一方で、石門星とかある人は、雑多な人の中でこそ活きる人であったりもして、こういう人は一人の殻に閉じこもっていると陰転してるような。
まぁ、命式とか星図だけでなく、宇宙盤とか数理法とかいろいろな角度から眺める必要があるので、陽占の星だけであれこれ言えるものでもないですが、
少なくとも、「たくさんの友達」がいることがマルな人とバツな人がいて、
「本を読んだり掘り下げたり」が、マルな人もバツな人もいる。
このマルとかバツというのは、命が活きるかどうかということであって、正しいか正しくないか、というのとは別の次元なのですが、このあたりは「現実」を一歩引いた視点で見ないとわかりづらいかもしれません。
調舒星があると、プレゼンの後とかガチンコの顧客面談のあとなどは、1時間くらい一人の時間を置かないと仕事に戻れなかったりします。
が、その時間を持つとまた新たなアイディアなりビジョンなどを持って取り組めます。私の場合、ですが。
昔、沢尻エリカが一つの役をやったあと「役落とし」のための休暇が必要、いうようなことを言っていましたが、彼女は中心に調舒星があるので、然もありなんな気がします。
その星を持たない人には理解が難しいですが、恐らく何人かに一人くらいのけっこうな割合で調舒星を持っている人はいるので、納得できる人もけっこういるのではないかと思います。
調舒星は、常に現状に対して不満を持つのがナチュラルで、その不満ゆえに孤独の中に閉じこもり、引きこもり、引きこって徹底的に不満をバネに完璧を目指す。
そして、また外に出て不満を持ち、また引きこもって完璧を目指していくのがその陽転のプロセスです。
世の中には「正しい」とか「正しくない」とされる一つのステレオタイプな枠組みがありますが、実際には人の数だけ正しいことも正しくないこともあります。
まぁ、そんなことを言っていたら、日本のようなトップダウン式の民主主義の国は成り立たないので、採用されることの少ない考え方ではありますが、それが真実、と思います。
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