米アカデミー賞において四冠を達成された『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督が、監督賞の受賞スピーチにおいて、
『最も個人的なことは最もクリエイティブなこと』
というマーティン・スコセッシ監督の言葉を紹介しておられました。
最も個人的なことは最もクリエイティブなこと。
我田引水の謗りを覚悟で書くのですが、算命学的にいえばこれは、
『自分のオリジナルの宿命を全き形で生きることが最もクリエイティブな生き方』
『自分の星図にある姿を体現することが世界で存在感を発揮する最も適切な在り方』
…とも言い換えられるように感じたのですが、いかがでしょうか。
マーティン・スコセッシ監督はまさにそんな生き方を全うすることで長きにわたり活躍されている方です。
先日、『肥料になる人、肥料にする人』の投稿で、全柱異常干支のような虚が強い宿命の人はまわりにいる「身強なのに身強らしく生きていない人」を源泉としてパワフルな生き方をするということを書きましたが、マーティン・スコセッシ監督もそういう全柱異常干支の人。
その虚の命式を虚の世界である映画界(芸能界などは「虚」の世界です)で存分に生かすことで身弱でありながら恐らくはまわりのエネルギーをバキュームのように吸い上げながら活躍してこられた方なのだろうと思います。
なお、大運の流れを見ればそれだけでも活躍する人であることが感じられる人です。
初旬に東方納音、2旬に東方害が巡っていれば、ほとんどの場合3旬目は繰り上がりの大運天中殺が陽転するもの。
実際、この方はマフィアの支配するイタリア移民社会に育って東方納音を消化し、1967年初の長編映画『ドアをノックするのは誰?』で注目されて以降、怒涛の快進撃で映画界に君臨するのは大運の通り。
しかしこの方は、陽転の3旬目4旬目を超えてなお活躍し続けておられるわけで、それは全柱異常干支の宿命によるのだろうと思うのですがいかがでしょうか。
全柱異常干支の全き虚の宿命と巨大な映画界という全き虚の環境との一致。
それこそが、1967年以降、昨年公開の『アイリッシュマン』に至る30年以上の長きにわたり映画界の第一線で活躍し続けておられる要因なのではないかと考えます。
異常干支というのは、「ちょっと普通じゃない」ものです。干支の構成からして火の上に水があったり水の上に金があったり自然の環境ではまず見られないような姿をしている通り、「なんだか変」な要素があります。
それが一つだけでも「変」なわけですが、それが全柱ともなると「ちょっと変」とか「相当変」を通り越して、「おかしすぎて理解できない」世界になります。
そういう「おかしすぎて理解できない」「おかしすぎて理解されない」人は、常識的な世界の中で居場所を失い自らの存在意義を疑い、陰転するか早くに世を去ってしまったりするものですが、ごくたまに「おかしすぎて理解されない」自分とその生き方を、常識や社会通念をものともせず、果敢に「全き形で世界に顕現させていく」ということをする人がいて、そういう人が世界の栄光をつかんでいきます。
マーティン・スコセッシ監督は、そういう社会通念とは異質の自分(=最も個人的なこと)をもって映画界で活躍してこられたからこそ、
『最も個人的なことは最もクリエイティブなこと。』
という言葉が出てきたのではないかと思います。
ちなみに、度々書いていますがジャック・ウェルチも全柱異常干支の人です。確かにあんな経営手法は普通の感覚ではできません。
それはさておき、この2人の共通点はたくさんの結婚歴があること。ジャック・ウェルチは3回、マーティン・スコセッシ監督に至っては5回の結婚歴があります。
それぞれの配偶者の命式は分かりませんが、
『全柱異常干支のような虚が強い宿命の人はまわりにいる「身強なのに身強らしく生きていない人」を源泉としてパワフルな生き方をする』
ということの通りであれば、おそらくは配偶者は身強なり最身強の人で、その妻たちという肥料の上に彼らの成功があったということなのかもしれません。
※命式はセラファムさんのアプリを使わせていただきました。
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