家事をしながら市来先生の「害」についてのYouTubeを観ていましたら、
他人の生き方に寛大な人
他人の在り方をおおらかに受け止められる人
というのは、位相法の害がめぐるタイミングに次元の高い人とめぐり逢える、
というようなことをおっしゃっていました。
年末の振り返りで書きましたとおり、
私は害の年運のときに今の生活の基盤になるような人たちに出会っているのですが、
なるほど、当時は左遷されて自信を失い、自分を半ば否定していたので、他人の在り方をとやかく言えるような心境になく、
結果として、
他人の生き方に寛容で、
他人の在り方をおおらかに受け止められていました。
その結果としての彼らとの出会いだったのだな、
と改めて思い至りました次第。
一方で、その後、コツコツと自分の生き方や価値観を再構築していく中で、大分自信らしきものも取り戻しつつあるそのプロセスにおいて、
最近は「他人の在り方に不寛容」な部分も出てきているような、そんな気がしていてちょっと反省しました。
そのことを考えつつ思うに、
人間は、
自信を喪失して他人に寛容になり、
自信を取り戻して他人に不寛容になる、
というのが自然ではあるけれど、
もう一段の成長を目指すなら、
「自信を持ちつつ他人にも寛容」
であることが必要なんだろうと思いました。
そういえばFacebookにForbesの記事が流れてきて、中身はともかく、
「誰かの成功事例には意味がない。イノベーションを自分の内側から見つける思考」
というタイトルが目に留まりました。
算命学的には、
人にはそれぞれ持ち場や役割があり、
その環境において自分らしい在り方をもって生きていくのが幸せであるということになるので、
まさに「誰かの成功事例」ではなく「自分の成功事例」を積み重ねていくことが必要です。
また、そこから己の成功パターンを知っていくには内省が不可欠でもあるので、
まさに「イノベーション(自分の次元上昇)を自分の内側から見つける思考」が大事であるということにもなります。
その記事は、全く算命学とは関係のない記事でしたが、あるべきやり方というのは割とあらゆるものに共通するのかもしれません。
あらゆる人の人生には、
自然にうまくいく支合のタイミング、
広い世界に向かう半会のタイミング、
自分のまわりの世界で過ごす三方位のタイミング、
他人と争う刑のタイミング、
心機一転の破のタイミング、
想定通りにはいかない会社のタイミング、
衝突が起こる冲のタイミング、
‥が、その順序は様々ながら繰り返しめぐります。
そうした様々な有形無形の出来事、
現実の人間関係や自分の内的確信や葛藤、
‥を経るなかで、
さらに節目である納音や律音を経ていくことで、
人は成長し螺旋を昇っていく、
次元を上げていく、
‥ということなので、
それを健やかにクリアして成長に向かおうとするならば、
このタイミングの流れを知り、
それに応じた在り方や考え方、人間関係の築き方を上手に取り入れて、
生きていくというのが望まれるのだろうと思います。
コロナ騒動で自宅で自粛しつつ、自分の位相法を改めて見直し、来年度に備えようと思います。
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