嫉妬の効用

最近思うに、
嫉妬してしまうほどの人に出会えるというのは幸せなことだろうと思います。

嫉妬することで、相手に引き上げてもらえたりしますし。

 

若い頃の、何者でもなかった頃の自分は、確かに世の中に嫉妬の対象は山ほどいたように思いますが、
ある程度道が定まり、自分がコレと決めた道が明らかになってくると案外と嫉妬する対象に出会うこと自体が稀になってきたりもします。

 

コレと定めた道においては、
多くの場合、相手と自分の力量差というのは自ずと分かるもので(分からないとすれば、そもそもその道の理解が足りないということでもあるので)、
力量において相手が上であれば嫉妬の前に自己研鑽が先に立ちますし、
力量において相手が下であれば嫉妬の対象にはなりません。

 

算命学を学び始めた頃、
あまり早く算命学の奥義を知り、世の中を悟ってしまうと苦難や懊悩による成長の機会を逸し、
世の中の彩りを体験することができなくなるので、ゆっくりと学びなさい、ということをいわれました。

 

嫉妬についても同様のことが言えるだろうと思います。

相手を知り、自分が分かってくると、嫉妬というのがわくことは稀になります。

 

それは穏やかな世界ではありますが、
自分を強く動かす力とは無縁の世界。
悟りとも言えますが、どこか諦めのような静けさの世界で、ガチンコで何かに向かうとか、遮二無二がんばる!みたいな方向には向かいにくくあります。

 

そう考えると、
嫉妬してしまうような相手に出会うというのは何かを成そうとするにはとても有効で、
むしろ金の草鞋を履いてでも探すべき存在と言えるようにも思うのですがいかがでしょうか。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

4 件のコメント

  • こんばんは!
    私は今回の文章をみて野村克也氏が真っ先に思い浮かべました。
    嫉妬の対象は言うまでもなく長嶋茂雄氏ですが、長嶋氏と同世代という事で野村氏も発奮して選手としても監督としても野球の第一人者になれたのでしょうね。
    ちなみに野村氏の年月日の干支、私の年月日の干支全てと納音の関係で金烏玉兎さんとも天報星と天将星、月日対沖が共通しています。私もそうですが試行錯誤も多かったのでは?

  • 嫉妬に限らず、一見『負の感情』にみえるもの、怒りや悔しさ、悲しみなどは決して避けたり封印すべきものではなく、むしろ向き合うことで成長に繋がるものと思います。私自身、自分の封印していた今までの感情と向き合い、受け入れることはそのときはとても苦しいものですが、その後物事の見方が変わってきているように感じています。宿命天中殺、分離条件、異常干支もちの方々は苦難葛藤が多い分、成長の機会もより多く与えられているのかもしれませんね。私も頑張ります。

  • 紅虎さん
    いつも色々に教えてくださって感謝です。
    そうですね、私も試行錯誤は多かったですし、だいたい嫉妬とか「この人に負けたくない」みたいな思いを原動力にして頑張ったりしましたね。
    もしかするとそれも「有願」なのかもしれませんが、そうやって得てきたものはたくさんありますし、そういう嫉妬や負けん気によって気づいたこともたくさんあります。
    ちなみに、算命学のオンラインサロンを作ってみようと思ったのは、そういう切磋琢磨する場所が今私のまわりにないことが一番大きな理由です。
    嫉妬の対象がいないと、御山の大将になりがちです。
    東洋思想や算命学について深く語れる場所、師匠と弟子とか先生と生徒というのとは違う、切磋琢磨する場所というのが今私が必要としているものであったりします。

  • shmykchangさん
    負の感情、大事ですよね。
    とりわけ、宿命に対冲とか納音のある人や、車騎牽牛のある人にとっては不可欠なんだろうと思います。
    あるいは、陽占の刻線などもそうかもしれませんね。
    そういう負の感情をテコにして向かう先がはっきりしてきたりします。
    負の感情というか、対立軸が明確になって初めて認識できるものというのがやはりあります。
    「みんなで仲良く」とか「平等」というのは耳ざわりがよく、ある意味では支配者が大衆を統治する場合における「大衆の在り方」としては望ましいのかもしれませんが、果たして個人の人生を眺めた場合にそれが有効かどうかはまた別の話なんだろうと思います。

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