このところ、「経済が止まっている」ということが盛んに言われます。
実際、人の動きが止まり、電車が止まり、町の動きが止まっているのだからある意味ではそのとおりなのですけれど、
一方で、
在宅勤務の環境を整えるためのパソコン機器等が飛ぶように売れ、WEBカメラなどは品薄状態が続いているそうですし、
zoomなどの遠隔動画アプリの利用は急増、免疫をつけるための健康食品などもびっくりするほど売れているとか。
…そうしたことをみれば、実は動いているところでは動いているなぁという気がしますがどうでしょうか。
ちなみに日経によると、従業員の在宅勤務を導入する企業の負担が年間1兆3千億円にのぼるようなのですが、
このあたりは、分配することなく企業において内部留保されてきたお金が吐き出されたという見方もあり、
ポジティブな捉え方をすれば、働き方改革に向けた費用拠出の一環ともいえるのではないかな、と思います。
とはいえ、圧倒的に後退感は当然にあり、経済はもちろん日々の生活や人生における否定しようのない後退を強いられている現状は十分に認識しています。
さて、これをどう考えるのか、ということについて、ハタと気づいたのですが、
「後退」とは英語で「リトリート」。
リトリートというと、日常を離れて自分と向き合うとかスピリチュアルな探求をするとかいう意味で最近はよく使われますけれど、
本質的な意味でいえば「退却」であり、前線から一時退却して長期的な戦略を立てるための行動をもってリトリートいいます。
だとすれば、
このコロナ蔓延の状況下というのも、次の50年に向けた長期的な戦略を立てるタイミングととらえてもよいのではないかと思います。
そのために、物理的なリトリート(=stay home)も徹底する。
もちろん、
既に猶予のならない痛みを抱えている業種や、日々の生活が脅かされている人、学校にすら行けず将来の展望を描けずにいる学生の方というのもおられると思うので軽々なことは言えないわけですが、
もしこれが時代の転換点なのであれば、ここでじたばたするよりも、覚悟を決めて一時退却し、落ち着いて次の50年に向けた戦略というのがどういうものなのか、考えたほうがよかろうというお話です。
私はこのコロナ騒動が始まって以降、意識的に煽情的な小説や映画、ドラマなどに触れないようにしています。
気持ちが揺れる、動くと、状況を正確に認識することが難しくなり、適切な判断ができなくなるのがその理由。
このあたりは、戌亥天中殺ゆえの架空の世界に取り込まれやすい質への対処なので、万人にとってそうした対処が必要とは思いませんが、
煽情的な創作物というのは、恐怖や願望を刺激し、脳内の声を誘発し、直感を妨げることがあるので、意識的に排除している次第。
これまで経験したことのないこの状況において自分が何をどうすべきか知るには、
今、目の前で起こっていることを正確にとらえつつ、自分の深いところから閃く直感に頼る必要があります。
「テレビで言っているから」とか、
「新聞に書いてあるから」とか、
「〇〇さんが言っているから」とかではない、
自分の判断が必要な状況にあるため、その判断を鋭くするためのコンディションを整えている、ということです。
なお、この「リトリート(=一時退却)」というのは、
天中殺中に引きこもって、次の10年に向けた長期的な戦略を立てるその感じに似ているな、と思います。
あるいは、自分の運が動かない時期(東方対冲とか東方害とか)に、大人しく受動的に困難をやり過ごすその感じとも似ているな、と思います。
「うごくとろくなことがないですよ」という時期。
その代わり、そこで「長期的な戦略をしっかり立てておくと、次の動けるタイミングで大きく発展しますよ」という時期。
今年が天中殺の人、今が天中殺月の人はもちろんですが、
そうでない方も、そういう「天中殺的な過ごし方」をしてみると良いのかもしれないな、と思いました。
ちなみに私は昨年、一昨年と天中殺で引きこもり、まさに長期的な戦略を立てて過ごし、只今現在その戦略に則っていろいろとやっています。
まだ着手し始めて2カ月強くらいなので、見直す、ということはしませんが、
新たに加わるフレームというのが見えてきたので、それを加える作業をこのGWでやろうと思っています。
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