生年月日を選ぶ帝王切開の是非について

出産するときに、お腹を切って子を産むこと。
それを「帝王切開」といいますが、
これはその昔、帝王は帝王にふさわしい命式をもって生まれてくるべきであるという考えのもと、
その相応しい生年月日の気を受けるべく該当の日に母親の腹を切り開いて子を取りあげたことに由来しているそうです。

そうしたことを知ってか知らずか、
たまに「子供を産む日を選んでください」
というご相談をいただくことがあるのですが、こうしたことは私はお断りしています。

責任重大だから?というわけではありません。
(そもそもご相談事はいかなるものも常に重大な責任を伴います)

ではなぜかといえば、
生年月日を人為的に選ぶことは、その人為的に選んだ生年月日で生まれてきた子供の生命力を損なうことになるからです。
人為的に生年月日を選ぶというのは、人工的に宿命を創るということと同義なので、
いってみれば、天然のウナギと養殖のウナギの違いに似た差異をもたらします。

もちろん、その日に生まれればその日なりの宿命となり、その宿命に沿った流れをもって生きていくことになるのですが、
これは、ウナギがウナギという同じ魚のカタチに育つようなもので、
同じ宿命、同じカタチにはなるけれど、そこには厳然とした生命力の差が生まれてしまうということです。

例えば、
将来大成するように、ということを目指して生年月日(命式)を選んで出産したとしても、
実際に大成するには、どんな命式であっても苦難や困難という試練を超えなければ大成することはありません。
(例えば、天将星をもってうまれても、苦難や困難という試練なしには乞食にもなり果てるのと同じです)

そういう大成するために必要苦難や困難、試練というのを乗り越えるには生命力が必要で、
人為的に命式を選ぶということをした場合には、そういう苦しいことを乗り越えていく生命力が損なわれる、といわれています。

これは、帝王切開自体を否定するものではなく、
帝王切開によって生年月日を選ぶ(=命式を選ぶ)ということが生命力を損なうことにつながりますよ、というお話です。

子供というのは、自然にしていても、相応しい親の元に生まれてくるようにできています。
子育てにおいて、苦しいことやしんどいことがあったとしても、何かのときに「あぁこの子はこのために私のところに生まれてきてくれたんだ」ということに気づくものと思います。
そして、子を慈しむのと同時に、自分にとってのその子の意味を知り、その子の様子に神の姿を見るともいわれます。

子供の病気をなんとかしたい!その思いが原動力になって健康食品の会社を作りましたとか、
子供の障害がきっかけで障害者の人が活躍できる会社を作りましたとか、
子供の好き嫌いがきっかけで料理研究家になりましたとか、
そういう話は枚挙にいとまがありませんが、
こうしたことは、「神様が与えてくれた子供である」ということへの謙虚な姿勢の先に起こることであって、
生年月日を自分が選びその宿命を定めてしまった場合、なかなかそういう思いや姿勢にはたどり着きにくいという面もあります。

つまり、生年月日を選ぶというのは不遜で傲慢な行為であるということです。

前に、著名な算命学の大家であられる中森じゅあん先生の本を読んだときに、
自分にぴったりの日に子供が生まれてきてくれた、というようなことが書かれていました。
じゅあん先生は人為的に選ぶことの障りというのをよくご存じだったからこそ、自分で生年月日を選ぶということはなさらなかったのだろうと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

17 件のコメント

  • こんばんは。コメント失礼します。
    私は帝王切開で子供を2人産んでいます。
    一度帝王切開で産んだら、次からもほぼ帝王切開です。
    前もって帝王切開になることが決まっている場合は、手術日を決めて予約しないといけません。
    病院側からも、だいたいこの週のここら辺でいつがいい?と聞かれますし、どうしたって生年月日は選ばざるを得ませんよ。

  • 姉妹ママさん
    誤解があるようなので先にコメントバックします。
    「命式を選ぶ」という観点で生年月日を選んだ場合に生命力が損なわれるということなので、単に生年月日を選ぶことは問題ありません。
    そう書いたつもりなのですが…言葉が足りなかったでしょうか。

  • おお。姉妹ママさんも帝王切開なんですね。
    私もそうですが、ほほぉー!と膝を打つだけでしたよ。
    そう言えば中国は帝王切開が過半数らしいですね。
    占いが盛んなお国の方はそのあたりどうなんでしょう?
    このブログをご覧の方で詳しい方いらっしゃらないでしょうかね。

  • 引き続き失礼させていただきます。
    実は私も母親が予定日より10日前に急に産気づいて帝王切開で生まれたんですよね。
    勿論、母は計画的に沖縄返還年月日に合わせてなんて気概もなくたまたまなんですけど。
    しかし仮に順調に予定日の5月25日に生まれて来たとしても最身強生まれで、先祖と縁が
    薄いという点ではあまり変わらなかっただろうと思います。(後継相の寅卯天中殺ですが天将星持ちで
    年日天戦地沖、更に父親の天中殺時の生まれのため。予定日生まれだと子丑天中殺の宿命生年中殺)
    そういえば母方の祖母と従姉が1906年と1966年の丙午年生まれなんですが、男を食い殺すとかで
    出生率が大幅に下がりましたが注意が必要なのは私のように生まれ日が丙午に該当する人で
    今からみると愚かだなって感じもしますね。6年後の丙午年もまた出生率がガクンと下がるのか
    興味深い所です。人為的に生年月日を親が選ぶ事に反対なのは全くもって同感です。

  • 返信ありがとうございます。
    でも多少なりとも算命学を知っている人なら、出産の候補にあがる日の命式は調べてしまうと思うのです。知っているからこそいつにしようか迷いました。
    別に、大成するように!とまでは願わずとも、病気がちになりそうな命式だったりしたら、なんとなく避けたいと思ってしまいます。
    結果的に下の子は、予定していた日よりだいぶ早くに産まれてきました。
    早産でしたが、その日を選んで産まれてきて、今すくすく育っていることを幸せに思います。

    にべこさんのコメントにもありますが、日本でも帝王切開の出産が年々増えていますし、不妊治療も人為的ですよね。
    そう考えると、強い生命力を持って産まれてくる子は減っているのでしょうか。

  • 恣意的に誕生日を選ぶというのは興味深いテーマですよね。米国だと通常の出産時の入院が一晩という鬼のような慣習だったり、仕事第一線のバリバリの女性が仕事のスケジュールを鑑みて計画的に出産したりするので、親の都合で帝王切開を選ぶ出産はありふれている印象です。その延長線で、子供の命運を恣意的に選ぶ目的ではなく、母親である自分の日運ベースで選ぶのもアウトなんでしょうかね。例えば仕事や引っ越し、結婚式など人生のイベントのように、自分にとって最も天の加護を得られやすい吉日を選ぶのと同じ感覚だとどうでしょう。もちろん出産日なので、選択に困るほど日取りできるわけじゃないですけど、例えばこの3日のうちどの日か、と言われて条件的にはどれも同じであれば、私だったら算命学カレンダーで自分の吉日を選んでしまいそうな気がします〜。

  • 姉妹ママさん、ありがとうございます。
    「日を選ぶ」といっても、ふつうの人のできる範囲はだいたい数日か、せいぜい1ヶ月くらいのことと思います。
    そういう意味では厳密に「生年月日を選ぶ」ということまでにはなっていないといえますので触りはないかもしれません。

    「強い生命力」というのはいわば野生の動物とか雑草のような生命力ということですが、昭和前半以前=算命学が日本の大衆に普及する以前、と比べれば、確かに強い生命力を持つ子供が減ったという見方もあるかもしれませんが、
    このあたりは、それほどたくましい生命力を持たずとも生きていける世界になった現在においては問題ないようにも思えます。

    ただ、「生年月日を選ぶということは不遜であり、生命力を損なう」ということは恐らくきちんとした系譜の先生であれば皆さんご存知のことと思いますので、念頭に置いておくことは大事であろうと思います。

    ちなみに、私も帝王切開で生まれました。
    予定した日になっても生まれず、結局、日を越して帝王切開に切り替えたそうなのですが、人の命は「予定通り」にはいかないものでもあり、そういう「予定通りに行かない」ということを天の意思として謙虚に受け止めて生きていくことができれば、生命力も備わるのではないか、と私は考えます。

    なんにせよ、「絶対ダメ」ということはないのが算命学なので、うまくバランスと対処を取っていけばリカバリもできるのだろうと思います。
    お子様が健やかに成長され、発展に向かわれますよう応援しております。

  • 興味深いテーマですね。
    記事と皆さまのコメントを読んでいて思い出しました。
    私は丸2か月早生まれで、算命学を知った頃に出産予定日だったらどんな命式だったか気になって調べたことがありました。当時2か月早いのは結構危険で、いろんな覚悟をしたと聞かされています。それほどのリスクを伴って出生日がずれた(?)と考えると、予定日と誕生日の命式の違いから得られる指針があるのではないかと思ったり、ほとんど遊びですが、そういうのも楽しかったです。
    命式自体は、やはり2か月違うと内容はかなり違い、私は誕生日の命式らしい性格になっています。でも所々は似た点もあり、現在の人生の目標からすると、予定日の命式も良かったかもしれないな、と思えたりして不思議でした。

    人為的な出産日選択の話題からずれてしまいましたが、こういうこともあるので、親が計算したくても胎児が覆すかも知れません。しかし、帝王切開が必要な状況になって、選べるとしたら、技術があるというのは誘惑になりますね。算命にかかわらず、人と技術の間に生まれる悩みに近いように感じました。

  • 興味深い話題でした。そして気づきを与えていただきありがとうございました。

    帝王切開で日にちを決めて産むこと自体ではなく、人生の作為意識が生まれる親の思い(エゴ)が自然の仕組みを歪める行為で、そこに虚無が生まれるが故に生命力を削がせてしまうのではないかと考えました。
    また、命式を選ぶことは星を選別する、可否をつけることにつながると思いますが、それは一元二極論の考えに反するとも感じました。
    5月6日付の受験の記事からつながるお話かと思い、読ませていただきました。
    というのも、エリート意識から子の命式にこだわるのではないかと私は思ったからです。

    仮に望む命式の日に帝王切開で産むことが決まったが、諸事情でその日に産めなかった場合、どのような気持ちで育てていくかと思うと恐ろしくも感じます。
    もちろん親の子を思う気持ちはとても素晴らしく大事ですが、あまりに過度な気持ちを持つとそれ自体が子の生命力を奪うようにも感じます。

    命式はいただきものと捉えて、自然と構えて受け取るのが良いかと思いました。
    (日にちを選ぶ際は難しいですが、状況に合わせることが自然なのではないかと感じます。)

  • 名前を画数を気にして良いものばかりの凝りすぎた名前にするとあまり良くないというのと似ていますね
    陽極まって陰になる命式というか
    あまりに出来過ぎた名前や命式だと不自然になるというのは感覚としてわかります
    作為を感じるというか
    それでいえば改名も同じかなと

  • はじめまして。りんっこと申します。
    自分が牽牛星2つ、生年中殺、天将星もちでこちらに関連する話題が多かったので以前からブログちょこちょこ拝見させてもらってました。
    私にはもうすぐ6歳になる双子の子供がいるんですが、帝王切開する日を一週間の中から決めて出産しました。一応妊娠中にさらっと命式をみたりしましたが、素人の浅知恵で深いところはわからなかったので、結局主人が連休を取れそうな日で決めてしまいました。
    幸運にも妊娠中これといった問題もなく(双胎妊娠は様々なリスクがあります)予定日通りに手術できたので良かったですが、双子は母子の負担を考えて通常の出産予定日より早い週数で帝王切開になるので、子供は低出生体重児でGCUに入院したり色々と大変でした。今は二人ともとても元気ですよ!
    長々と書きましたが、予定日より早産の可能性もあったし自然分娩では母子共に無事だったかもわからないので、結果的に予定日に出産出来て良かったです。

    思うに望んだ命式通りに子供を産みたい人は子供が産まれてからも何かとコントロールしようとするんじゃないですかね?子供とは自分の思い通りにならない自然の最たるもので、それを恣意的に操作しようとすれば何かしらの報いがある。それは当然のことかと思います。

  • 紅虎さん、ありがとうございます!
    紅虎さんのコメントを拝見しつつ思い出したのは、一般的に算命学や占いを知らない方が幸せだといわれていることです。
    ただ、業の深い人はそういう深い業を占いの役割を担って解消していくのだとか。
    私は家系の歴史に詳しいわけではないですが、車騎牽牛が山ほどあったりすると、やはり深い業を背負っているのだろうなと思うことはあります。
    ただ、それも含めてこういう分野に携わることがきっと宿命の消化になっているんでしょうね。
    引き続きよろしくお願いいたします。

  • のりっきーさん、コメントありがとうございます!
    コメントを拝見しつつ思い出したのですが、アメリカのみならず日本も最近は割と「さっと産んでさっと退院する」人も多いのだそうです。
    理由は産婦人科医が不足しているから。そう考えると日にちを選ぶこと自体難しくなっているのかもしれないですね。

    「三日のうち誰かを選べたら…」、私も選んでしまいそうです笑
    引き続きよろしくお願いいたします!

  • りえこさん、コメントありがとうございます。
    確かにそうですよね、日にちを決めたところでその通りになるとは限らない。
    そしてそれを逆からみれば、決めた日すらも「定めの日」なのかもしれないですね。
    ちょっと手塚治虫の世界観を思い出しました。
    命の尊さとAIの世界の狭間のような。

    示唆に富むコメントをありがとうございます。
    引き続きよろしくお願いいたします!

  • あみさん、コメントありがとうございます。
    お書きいただいている通りで、自然に対する謙虚さが欠けてきている昨今なので忘れられがちですが、
    子供のためという親のエゴのもとで歪められているものが多くあり、このあたりは少なくとも算命学を学ぶ上では認識しておいた方が良いだろうと思っています。
    とはいえ、例えば生月中殺のある子供をがんじがらめにしてしまうような親御さんもけっこうおられるのですが、
    その辺りも含めてよくよく「自然を尊重する」ということの大切さを考えておくべきだろうと考えます。
    ありがとうございました!
    引き続きよろしくお願いいたします。

  • みくにさん、コメントありがとうございます!
    確かに、改名もそうですね。
    そういえば、「モーニング娘。」が流行ったときに、「.」(ピリオド)をつけるひとがけっこうられましたが、あれは「。」が読点であるのに対してピリオドは終点を示すので、活躍を終わらせるとかそういう意味になるらしく、実際そういう現象が起こっているのをみて、安易な改名は良くないな、と感じたのを思い出しました。

    ありがとうございました。
    引き続きよろしくお願いいたします!

  • りんっこさん、はじめまして。
    そしてコメントありがとうございます😊
    双子のお子様!素敵ですね。大変そうですが、天将星がおありになるならちょうど良いくらいでしょうか?
    6歳で元気な双子、楽しそうで何よりです。

    ご指摘の件、そうですね。
    命式を選ぶということは一事が万事、コントロールしたくなる、ということもあるかもしれませんね。
    コントロールしたくなる、ということ自体も向かいという見方もありますね。

    自分自身を振り返りつつ、私も気をつけようと思いました。
    ありがとうございます。
    引き続きよろしくお願いいたします!

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