「自己を知ることは知恵の始まり」とはアリストテレスの言葉。
これが孔子になると「他者を知ることは知恵、自己を知ることは悟り」といいます。
それぞれに「なるほど」と思いますが、
個人的には、「相手を知り、己を知れば百戦あやうからず」という孫氏の兵法の言葉が好きです。
自分だけを知って世界に対峙するのはいかにも西洋的発想、
孔子は立派な人ですが、多少覇気に欠けるというか、まだ悟るには早すぎるので。
※以下多少センシティブな内容です。SNSで会社や家族の愚痴、政府批判などをせっせと書いておられる方は閲覧ご注意くださいませ。
さて、一年くらい前に、
「会社の愚痴ばかり言っている人の会社は傾く」
「旦那の話ばかり言っている人は自分のコミュニティにおける足場が揺らぐ」
というようなことを書いたことがあります。
(気になる方は、「末路」のキーワードでプログ内検索をかけると多分でてきます。)
これは、実際私のまわりで起こったことに基づいていて、
毎日のように、自分の会社や自分を養ってくれている夫への批判やをSNSに書いていると、
会社の愚痴を言っている人はその勤務している会社が傾き、
夫の愚痴を言っている人は夫が自分を支えられなくなり自分の立場が揺らいでいく、
(例えば、夫が左遷されて収入が減るとか、病気をして仕事ができなくなるとか、あるいは他に女をつくって出ていくとか)
ということが実際に起こったのを見て書いたことなのですが、
このところ、とある方の様子を見ていて、
「会社の愚痴ばかり言っている人」が転職した場合、
元々居た会社(=愚痴を言っていた会社)ではなく、転職した先の会社が傾く、という現象として現れるのだということに気づきました。
ちなみに、この「愚痴ばかり言っている人」というのは、
面白おかしくそれを話して披露したり、
あるいは自己顕示的にそれを書いたり、
…という感じで、おそらく本人には「愚痴」を言っているという自覚はありません。
けれど、実際にはそういう投稿は、かなりネガティブな波動を発しているので、敏感な人間は見ているだけで苦しくなったりします。
敏感とは、身弱に寄っている人や干合・暗合があるような人、そういう人は感知しやすいのではないかと思いますがどうでしょう。
こういう投稿というのは多くの場合、
「私はこんなにたいへんなの!」と、まわりにアピールすることで同情を買いたい悲劇のヒロイン体質や、
「こんなにたいへんな仕事を任せられて私ってすごいでしょ?」ということをアピールしたい自意識過剰体質に起因しているのですが、
こうした体質の人というのは、自己認識と社会評価のギャップがあり、その認識を埋めるためにこうしたアピール=愚痴を書く、という行動をとります。
自己認識と社会評価のギャップというのは、精神年齢の低さに起因しているので、致し方ない面はあるのですが、
こうした「子供じみた行動」を大人になってなお続けることの代償は想像以上に大きく、
そういう人を眺めていると良くわかるのですが、そういう自分の寄る辺ともいえる存在への攻撃・口撃は、容赦なく彼らの足場を破壊していきます。
つまり、
自分がお世話になっている勤務先や、
自分を養ってくれている夫の愚痴をいうことは、
自分を支えてくれている世界の破壊につながる、ということです。
なお、これは例えば、政府批判などを壮大に展開しているような人にも当てはまります。
勤務先の愚痴を壮大に言っていたことの影響が、勤務先ではなく転職先に表れたのと同じように、
政府批判を壮大にしていると、どこかで何かが壊れるのではないかと思います。
実際、有力者や安定的な実業家、揺るぎないお金持ちの中に、本気で政府批判をするような人はいませんね。
多少の批判や問題意識を口にすることはあっても、こんこんと批判をし続けたり、口汚く文句を言うことはありません。
このあたりは、視座が上がれば上がるほど、視野が広がれば広がるほど、善悪の基準があいまいになっていく、ということにもよりますが、
自分がどこに立っているか、その足場がどういう仕組みで堅固になり、どういう状況において壊れる性質があるのかということをよく知っているからだろうと思います。
自分を支えてくれるものには感謝する。
感謝できないなら、改善を提案するか自分が改善するか、そうでないならその場を去るか。
愚痴や攻撃がダメなわけではないのです。
別に、自分が評価しないもの、なくなっても困らないものなら、好きに批判すれば良いのです。
そうではないなら(=なくなって困るなら)、感謝するかせめて静観するか。
これは不易の法則です。
もう少し詳しく書けば、
「いらないもの」から離れるには、黙って忘れるのが一番ですが、
ガチンコで文句を言ったり嫌ったりしていれば、それはそのうち壊れるか自分の視界からなくなるかします。
「嫌う」ということへの執着がある場合はしばらく存続しますが、執着がなくなればいずれなくなります。
よって、そんなふうになくなって良いものであれば愚痴でも批判でも、何でも言えばいいのですが、
自分が、世話になったり助けられたり給料をもらったり、しているような人や会社などについて愚痴をいうのは、
命取りですよ、自分のためには決してならないですよというお話です。
もっとも、私自身、せっせと外交関連について文句ばかり書いていた時期というのもあるので、他人のことを偉そうに糾弾できる立場にはないのですが、
それでも最近思うに、そういうネガティブな言葉や行動が発するエネルギーの破壊力というのはけっこう壮大で、
言い換えれば、自分にとって何のプラスにもならないものへエネルギーを使うのは、かなり勿体ことだなぁと思うようになりました。
(例えばその破壊による満足感というのがあったとしても、それって何かの役に立つわけではありませんし。)
以下、これらについての算命学的な仕組みを書いておきます。
自分の足場を構成するものというのは月柱(中央)です。
例えば給料を払ってくれている会社・生活を支えてくれている人・国を支えている政府というのが自分の足場を支えてくれている存在ですが、
彼ら(月柱・中央)への攻撃を対外的(年柱・東方)に発信していると、これは月柱と年柱の間において破壊条件が発生するのと同義で、
つまり、その会社は傾いて給料が払えなくなり、夫は妻を支えられなくなり、国家はその人を助けなくなる、みたいな現象として現れます。
自分が対外的なコミュニケーションをするとか、対外的に活躍するとか、お金をがっつり稼ぐとか、そういう東方的なことを目指す場合には、
自分の足場を構成する要素と合法的(半会とか支合とか)な在り方をもって臨むことが必要です。
言い換えれば、
自分にとってキーになる要素へネガティブな感情を抱いている限り(ネガティブなエネルギーを発している限り)、
自分の足場も安定しないし、前に進めない。
仕事も身分も安定しないし、いっこうに活躍することも稼ぐこともできない。
…ということになります。
私も、精進しようと思います。
※本日は少し仕組みについて触れましたが、
基本的には、ブログには算命学における結果や現象・考察を書き、noteには仕組みや背景などを書く、という使い分けをしています。
noteはこちら:https://note.com/kinugyokutoan/circle
(単発公開は本日中に行います。)
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