少し前に、iEXPO2019「NEC未来創造会議」のパネルディスカッションを聴講しました。
入口から、気になることやワードを書き留めていたらすごい量になって、
これは私が勝手にまとめるより、
そのまま紹介した方がライブ感が伝わるかも?
‥ということで、断片的ながら以下にご紹介します。
世界の高度にテクノロジーが発展した未来において、算命学を含む東洋思想がどのような役割を果たせるか?
ということについてこのところ考えていますが、
それにも類することなのでその記録を開示という意味もあります。
…..
未来の絵をスケッチする。
未来のキャンバスに色付けを重ねる。
未来創造会議とは、
新しい働き方に取り組んでいるプロジェクト。
人が生きる、豊かに生きる
2050年
現代は、技術の進化が早すぎて社会が不安定。
よって、一歩下がって先のことを考えよう。
世界中から色んな分野のプロフェッショナルに参加してもらって実現すべき未来像を議論している。
三年を経て議論が集約されつつある。
マズローの五段階欲求の最初の段階にはテクノロジーが貢献できる。
五段階欲求の上の方は、一人一人がやりたいことに取り組んでいけるような社会を創っていかなければならない。
技術と人の在り方を常に両輪として考えていく。
現在は数値が重視される。
偏差値社会、数字社会。
分断を起こし、情報社会の限界でもある。
意思共鳴社会は、
人同士がやりとりできる社会。
体験を共有できる社会。
場所を超える、
空間を超える
時間を超える
これからの共体験。
時間や空間を他方化した体験による共鳴する。
そのインフラがエクスペリエンスネット。
データを蓄積すると、
迷った時に自分のおじいさんが出てきて議論できたりする。
※HPの未来創造会議のレポートに詳細あり。
数値から物事を単純化すると分断を生む。
多様性は受け入れるためには多様な評価の軸を設ける必要がある。
個々の多様性を尊重し会える体験社会。
体験社会をシミュレーションして問い続けること。
スペキュラティブデザインの提唱者
アンソニー・ダン
代替的な世界を創造し、それを取っ掛かりとしてイメージする。
どんな世界に住みたいかを考えられるように、
新しい視点を見つけるプロセス。
あらゆる未来をみんなの創造力で考える手法。
代替的なものではなく自分独自の世界観を持つべき。
新しい世界観とは、生き方であり在り方であり、あらゆる個性の集合体。
テクノロジーは中立ではない。
テクノロジーにも政治イデオロギーがある。
モノをつくって思想を牽引する。
そのモノからどんな社会にあるか想像でき、世界観が生まれる。
電気自動車やロボットなど。
新しいものを入れる時、古いものを破壊する。
自由に発想することが大事。
原子力でエネルギーは無限だが人は不安。
エネルギーを多く使うことは原始的。
ゆっくり走ることを取り戻すこと。
どんな世界に住みたいか。
現実から離れる必要がある。
非現実的でなくてはならない。
そうすることで人の想像力が解き放たれる。
以下、パネルディスカッションより
ドミニク、ウェルビーイングを提唱した人。
ウェルビーイングとは心が充足する領域。
欧米の研究分野、
最近は関係性が問われている。
世界の見え方は洗練されていている。
異なる価値観、異なる幸福感を併存させるために、どうコモングラウンドをつくっていくか?
日本人は、
日本の様々な価値観、仏教や思想、様々な日本的なもの、その固有で美しい、
欧米が深掘りし尽くしていない分野を学べるはず。
世の中の複雑だけどリッチな価値観に取り組んでいく。
ミラーワールドの体験。
ケビンケリーが発表したミラーワールド。
ミラーワールドを日本の文化で眺める
建築家や発明家などさまざまな立場で。
これからの世界は人間だけではないという前提で作らないとうまくいかない。
ビジョンでなく実務としてもそうなってきている。
AIにも見えやすい世界にしないと人間にとっでハッピーにはならない。
新しい社会にどういう価値をインストールするか。
多様な価値観は非エリート層は受け入れたくない?
四回のテーマで議論したがぐるぐると同じことを別の視点で言っている。
問題意識の根っこは同じ?
視点を一致させていけば、新たなステップに進めるのではないか?
情報社会から体験社会へ。
世界中でシェアされる社会。
体験のネットワークができていく。
意思共鳴による新しい共生。
地球上に厳然とある価値観と現在の価値観と比較しながら視覚化する。
そうすると議論が広がる。
現実のフィジカルな場と、
AIもロボットもいるバーチャルな場。
共通基盤を作っていくことが必要。
人間側にはどんな課題があり、きっかけはあるか?
未来都市の良い事例がない。
事例やイメージで出てくるのは80年代の未来像のようなイメージ画。
本質的でリアルな未来都市・未来ライフを創造するには、
因果関係もデザインし、
情報体系もデザインして
高次元で構築していく必要がある。
未来都市とはイメージやハードだけで成り立つモノではなく、生身の人間の思考や生活が多層的に存在して初めて未来「都市」となる。
スマートシティは高次元なもの。
二次元(データ)、三次元(イメージ)に落とした瞬間、普通のつまらないものになる。
五次元、十次元、百次元に向けて、
常識をリセットする必要がある。
マインドセットを変える必要。
高次元な世界観を見るには、共通項が必要。
コモングラウンドがないと共有できない。
誰かの体に乗り移りながら体験をしないと、
常にインタラクティブに捉えていないと本質的な体験はできない。
ウェルビーイングでは幸福感を数値化しようとしていた。
しかしもっと調べると例外がたくさん出てくる。
合理性だけでは説明できないことがたくさん出てくる。
ウェルビーイングの研究は、
幸福感をあげるには?ということを突き詰めていくと、仏教の世界などは説明できなくなる。
幸福は、
ソリューションではなくコーピング。
(cope with)
苦しみを消す発想はない。
苦しみとどう向き合うか。
日本の未来を考えるには、
社会的合意形成の方法を考える必要。
他者の苦しみをデータ以外で認識することの有効性。
痛みのプロトコルがあると良い?
世界のソーシャルメディアでフェミニズム運動がおこっている。
これまで政治やテクノロジーの視点が限定的だったのは、男性に作られた法律に邪魔されていたから?
スペキュラティブデザインによってどうポリシーメイキングするか?
ルールメイキングをどうするか?
ルールメイキングがイノベーションの最前線ではないか?
スペキュラティブデザインはルールを破ることを目指してきた。
新しいルールではなく新しい対話を始めようととしている。
シビックデザイン、フェミニストの社会がどうなるかを考えるなど。
女性のための社会、インスピレーションき溢れたものをつくる。
進化議論は人間が取り残されている。
人間の身体制が置き去りにされてきた。
潮沼大阿闍梨のお寺は少し違う。
数値ができない、我々の軸では測れないものがある。
離れていてもレゾナンスでき、
技術が進むことで遠隔でもできることは増えているが、最後は人間に戻る必要がある。
間接的に体験しても、
違う世界や存在を意識することが大切。
多様性に気づいていくプロセス。
体験を伝える脳科学をクオリアという。
感情を抱く理由をマッピングする技術が進んでいるが、どこまでいって解明はされていない。
簡単に体験がネットワーク化できるわけではないという認識、不可能性、すべてを情報化できないという前提で考える必要。
人間の体を拡張する、増幅する、
そんなふうに人間の能力を拡張していけば幸せそうに言われるが、そうではないのではないか??
ドミニクは吃音の当事者。
吃音が治る薬があっても飲まないよね、と思う。
既に吃音が自分のアイデンティティになっているから。
吃音はいうことをきかない友人のようなもの。
それも含めて自分というトータルな存在が出てきている。
拡張していくと自分がなくなり画一化されていく。
テクノロジーを考えるときに、そういう限定、限界を知ることは大事。
能楽は、エボケーションにつながる。
何かが降りてくる、何かを降ろす。
正解を教えると学生の能力は落ちていく。
ヒントで考えるのが大事。
相手の苦しみを考えるオルタナティブを考えるのが大事。
エボークについて。
アートを通して過去の文化や世界に共感してきた。
アートへの共感を通して歴史や世界を学ぶ。
そういうことが体験のネットワークに生かされる。
人間はら高次元なな世界を表現する装置としては最適にできている。
今後同様なものをつくれない。
高次元をまとめる、集約することは機械にはできない。
チャンネルに絞った部分における技術であれば人間を超えられるものがでてきているが。
人間の役割は、
このチャンネルでは情報はどう収束されるのかを見通し活用すること。
価値や情報の扱い方ということにどれだけコンシャスになれるかが大事。
ノーマライズしないままで社会に落とし込んでいくこと。
個別性、一回性を抱えながら、どうやって社会ら政治、テクノロジーに挑戦できるか?
デジタル化されることそれが難しくなっている。
個性が反映、繁栄する社会を作ること。
想像し思考し表現することをすることが大事。
その場を作ってあげることが大事。
個々の声がデザイン化され変換されていく、
個人がそういうスペースを持つことは大事。
個人と社会の並存が大事。
実務書を読むことが減って小説を読むことが増えている。
時代を超えて他者になることで他者の痛みを知ることができる。
文学もテクノロジーだったかも?
一次元や二次元でしか物を考えない人になってしまうのは怖いこと。
本を読まないと他者を想像できない、それがらボトルネックになる。
アートや文学をツールとした共感をみんなが目指し始め、いろんなレイヤーが出てくることによって、
限られたクオリティの高いアートや文学だけがあった世界からら、クオリティが下がって雑多なモノにあふれる社会になっていくいく危険も。
しかしそこには、
アートのあるべき姿への過期待、
相手への過期待になる危険も。
ノイズとは、正統ではないもの、
評価軸が育っていないときのもの、価値体系が定まっていないないもの。
それを感じるため、扱うための技術をうまく使って、見えてないものを怖がるのではなく楽しむことができたら素敵。
テクノロジーはどちらにでもいける、それをいかに良い方向に迎えるかを常に意識したい。
この活動によって様々な気づきを継続的に得ている。
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