人間の全き生き方、
自分の持てる才能を発揮し、それによって最大リターンを得る生き方というのは、
「適切な環境を得て、その環境において適切な行動をとることである」
と言い換えられます。
これを算命学的にいえば、
正しい空間(干)において正しい行動(支)をとる、ということになります。
「正しい」ということを簡単に言えば、
命式にあるとおりの環境において、
命式にあるとおりに行動すること。
(いろんな要素がありますが平たくいえば)
実際、世の中で大きなインパクトを与えながら世間に認められながら生きている人というのは、
そこに多少の苦難困難はあれど、基本的に命式通りに生きているもので、
このあたりは、偉人や有名人の命式を読み解けば異論の余地はありません。
一方で、一般の人というのは部分的に命式に沿ってはいても、「全き消化」には程遠いことが多いものであるように思います。
よって、本来、命式を全て消化していく人生がその人らしく才能を開花させ、世に役立ち、そしてリターンも大きくなる生き方なので、それを推奨すべきだと思うのですが、
「命式の全き消化」を実現し、
それによって世の中に大きなインパクトを与えながら生きているような人というのは、
その命式を逸れてしまったときの反動というのもまた大きく、
例えば何か大切なものを失うなど、「淘汰の危機」につながってしまうこともまたあります。
そのことについて先日、
「ほどほどに命式を消化しつつ、
逸れすぎない程度の生き方の中で平凡に幸せに生きていけば良いのでは?」
という問いをいただきました。
例えば、
日干支が律音の人同士の場合、
それぞれが「命式の全き消化」をしていなければ、「なんとなく気が合う」関係のままで場を取り合うこともなく平和に生きていけるのではないか?
ということなどですが、
これについて私が考えるのは、
人生の「プロセス」においてはそういう平和な時期を過ごすことができたとしても、
それは冬のある日の小春日和のような、
あるいは大病を患う中での小康状態のようなものであって、
一人の人生という単位で考える場合には、
その「ほどほどの人生」で生きていけるのは恐らく大運5旬目までではないかと思うのですがいかがでしょうか。
これまでも何度か書いていますが、
5旬目までに命式に沿った道に立ち戻らなければ6旬目で淘汰されるといわれます。
だとすれば、
「ほどほどに」「まわりに合わせて」生きていけるのは恐らく大運5旬目までだろうと思うわけです。
そう考えると、
なるべく早い段階で命式に沿った生き方を選択し、合わない要素を排除する決断をして、そこに多少の葛藤や試練があったとしても、それを超えておくことが望まれるように思います。
それを超えることで、
自覚と覚悟を備えることができ、
進むべき道に強い意志を持って向かうことができるようにもなりますし。
なお、余談ですが、
最近何人か立て続けに完全格で刻線ゼロの方(準鳳蘭局の方と殺印相生格の方)と話をしていて気づいたのですが、こういう人たちというのは、「自分の向かうべき道」に向かうことに対して、気負いも躊躇も悩みもないようでした。
完全格の凄さの秘密の一端を垣間見たように感じた次第。
※完全格の方から頂いた、オバマセレクトの「ホワイトハウスのハウスワイン🍷
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