本日、
「国に勢いのあるときは良いリーダーに恵まれ、国が安定する」
ということを書きましたが、これはいわゆる「悪政は天災を招く」の逆です。
悪政とは、国が衰運にあるときに必然的に登場する「衰運を担うためのリーダー」が執り行う政治であり、実はそこには必然性があります。
これを個人の生活でいえば、
良い運気にあるときは、運気の良い人や運気の良い場所に縁があり、
衰運にあるときは衰運に拍車をかけるような人に出会い、衰運に同調するような場所に引き寄せられたりします。
何もこのタイミングでそこに行かなくても…
みたいな旅行をする人というのがいますが、
そういう人をよくよく見れば、
その人自身が衰運期にあったり、
衰運に向かうところであったりということがパキッと現れたりします。
鶏🐓が先か卵🥚が先か?
みたいな話ですが、
恐らくはその両方なのではないかと思います。
自衛手段としては、
旅行に行くならネガティブな機運にある場所は避けて王道のキラキラした場所を選ぶこと。
ネガティブな機運の場所は旅行代自体が安かったりしますが、
安いのには安いだけの理由があり、
一方、王道のキラキラした場所はそれだけ多くの人を引き寄せるだけの理由がやはりあるものなので、
そうした背景を吟味して避けるべきものは避けたほうがよいです。
旅先の気というのは、
その後の生活にけっこう影響します。
なお、ネガティブな機運の場所に行っても良い人というのもいて、例えば下格の人や大運などの巡りで下格になる人、あるいは濁星ばかりの名式の人などはそういう人だろうと思います。
いわゆる「動乱型」といわれるそういう人たちは、衰運期にある荒れた場所において意義あるものをつかめたりします。
そういえば、
「町おこし」のようなのも同様に見ることができます。
町おこしが必要な場所というのは基本的に衰運にある場所です。
東京で活躍していた人がそういう場所に町おこしに向かうときというのは、
その人自体が少し落ち目に向かっているか、
その人が下格や動乱型である場合です。
その場合、
前者は町の衰運に同調して馴染むことはできるかもしれませんが、町をおこすには至りません。
一方、後者であれば、様々に混乱や衝突を起こしつつも、町を見事に起こし切るということもありますが、この場合であっても混乱や衝突を起こすことを避ければやはり町おこしは失敗します。
これは、
衰運にあるものが盛運に向かうにはプロセスが必要で、衰運→動乱→学び→盛運という流れを経なければ、本質的な町おこしは成らず、
衰運から動乱にかけてのその役割を担えるのは下格や動乱型の人だからです。
よって、町おこしをするときは、
その役割を担える人かどうかを吟味し、
さらにそれをチームで行い行政なども絡めるなら、先日書いたコミュニティづくり、組織づくりのバランスを加味してみる必要があります。
なんだか面倒ですね…
という声が聞こえそうですが、
古来何かが成るときというのは、
そういう要素が全て整った先のことであったこと、
そしてそのためにときの権力者はそれを整えるために心を砕き様々に手段を講じてきたことを考えれば、当たり前のことといえます。
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