子供との関係について、ちょっとセンシティブな話を書きます。
本来、公開ブログにはセンシティブな内容は控えることにしているのですが、
社会的意義が大きいだろうと思うので、書いておこうと思った次第。
さて、少し前に3歳児の子供を放置して鹿児島の恋人のことろへ遊びに行った母親のニュースがありました。
お子様は一週間放置されて衰弱死したというあのニュースです。
本日、たまたまこの事件について別の角度から書いた記事を見ました。
なんでも、このお子様を衰弱死させたこの母親自身もまた凄惨な児童虐待の被害者であったのだそうで、高校を卒業するまで施設で過ごしたのだとか。
幼少期の経験をそのまま我が子に繰り返す、
現代では非科学的と退けられる考え方かもしれませんが、やはり因縁ということなのだろうと思います。
こうしたことを眺めつつ、ハタと気づいたのですが、算命学の星図というのもその因縁をよく示しているものですね。
というのも、
算命学では、自分の子供の星、自分の子供との関係というのは南方の星ですが、
一方で南方の星というのは自分自身の「子供の頃に育つ環境」を示すともいわれるからです。
自分が育った環境が、子供との関係に反映されていく。
たとえば、南方に調舒星があるような人は、子供の頃は「孤独」の環境で育てられるといいます。
子供の頃の「孤独」というのは、「放置される」ということではなく「独り」として育てられることをいい、
つまり、兄弟が他にいたとしても、「一人っ子」のような育てられ方をするので、ある意味過保護に育てられることもあるのですが、
その結果として、友達が出来ず、兄弟とも仲良く過ごすことがない、という意味で「孤独」の環境で育てられる、という現象となります。
孤独の中で育った子供というのは、同年齢の人がまわりにいない環境で育つ、ということなので、子供らしさを欠く傾向にあり、
一方で、「友達をつくる」「同年齢の人と付き合う」ということをせずに育つことによって友達ができず孤立する傾向にあります。
そしてさらにそういう育てられ方をした結果として、「自分自身の子供」とも縁遠くなる(子供との関係が孤独的になる)。
つまり、自分の育った環境がが、そのまま子供との関係になる、ということ。
算命学の星図の示す不思議な世界、因縁の世界がそこにはあります。
ちなみに、南方の調舒星といえば安倍晋三首相がそうですが、
確かに子供の頃は過保護に育ったそうで、そしてお子様はおられませんね(子供と縁遠くなる、というのは子供に恵まれないことも含みます)
さて、これは星図における十大主星を介して、それを「自分の育った環境」「子供との関係」として捉える見方なのですが、
こうした因縁の姿を応用すると、冒頭のような「子供の時の経験」をそのまま「子供に与えてしまう」という形で常に起こるものなのではないか?とふと思いました。
その意味では、「苦しい子供時代」を過ごした場合、敢えて子供を持たなくても良い、ということがいえるのかもしれません。
もちろん、軽々にいえることではないですが、そんなことを考えたので、記録として書いておきます。
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