少し前に、
「幸福度は年収75,000ドル(年収900万円くらい)で頭打ちになる」という記事があちこちに出回って、
確かになぁ、と思っていたら、
直近の研究では、「幸福度が頭打ちになる年収」の存在は確認されなかったのだそうです。
つまり、年収11万5千ドル(1230万円くらい)稼ぐ人よりも、年収16万ドル(1700万円くらい)稼ぐ人のほうが幸せなのだとか。
これについて思うに、
シンプルに、アメリカの教育費の高騰(特に大学の学費の高騰)や都市部の住宅価格の高騰などにより、
収入による格差がくっきりとしてきたことによるのではないかな?
と思うのですがどうでしょう。
あるいは、
情報化社会が高じたことにより、良いものに人が殺到して極度に高価格化するという現象により、
「良いもの」が「高価格」でないと手に入れられない時代になったから、という面もあるのかも。
お金にせよ、モノにせよ、際限なく欲するというのは、かなり不健康な現象であるように思います。
自分の欲する生活や生き方のためにはある程度お金が必要なのはもちろんですが、その水準までの収入を得られたら、満足するのが普通です。
「満足」のない生活というのは苦しいもの。
もちろん「向上心」は必要かもしれませんが、
その「向上心」がお金にばかり向かうというのは、かなり不自然で不健康なことであるように思います。
先日、「財の星」がない人は、お金について変なことをする、ということを書いたのですが、
例えば財の星がないような人というのは、そんなふうに「際限なくお金を欲する」というようなことがあります。
これはなぜかというと、
「お金」を「財」の本質としてではなく、「お金」というカタチを見ているから。
そして、「お金」というもののモノサシを持っていないからです。
「お金」というカタチばかりに目が行って、さらにそれを計るための正確なモノサシを持っていないので、
カタチばかりが増えることに喜びや達成感を感じる、
正確なモノサシを持っていないから際限なく欲する、
…ということが起こります。
その稼ぎ方、獲得の仕方というのが「財」の本質を欠き、
そのお金を「財」ではなく「モノサシ」として見ているので、財の本質に沿った使い方が出来なかったりもしますね。
そういう人というのは、
どこかちがう感じ、
例えば身なりやら家やらをみたときに、なんとなくチグハグな印象があるような気がします。
このあたり、「財の星」がない人が財に拘るとそういう印象になるんだろうな、とう印象があります。
さて、財の星がない人が、お金を手に入れ円満にそのお金を謳歌するにはどうすればいいか?
ということですが、
一つには、そのお金をリリースすること、
もう一つは、その「お金」を自分の星の消化に使うことだろうと思います。
リリースするとは、寄付をする、人のために使う、何か役立つものを買うなど。そうすることで、「お金」は「財」になります。
自分の星の消化に使うとは、例えば鳳閣星があるなら「体感として心地よい」と感じるものにお金を使うとかです。
財の星がないと極端に貯蓄に走ったり、「必要のないもの」や「役に立たないもの」を買ったりする傾向にあるのですが、
そうではなく、きちんと、それを「流す」とか「自分の中で消化する(星の消化に使う)」ということをすると、
財の星がなくても、きちんと星を財として使うことになるので、そのお金もきちんと財として働くことができるように思います。
人生100年時代、長生きリスクなどといわれますけれてお金を稼ぐことばかりに気持ちが向かうわけですが、
単にお金を稼ぐだけでなく、
そのお金を「豊かな人生」に活用することが大事なわけで、きちんと「お金を使う」ということをしていく必要があるのだろうと思いますがどうでしょう。
感覚ですが、
お金を稼ぐよりも、「お金を豊かに使う」ことのほうが難しいなと思います。
「お金を豊かに使う」のも才能、みたいな。
その意味では、「お金を豊かに使う」こともコツコツ練習と実践を積み重ねてスキルを身につけるべきことの一つともいえるかもしれません。
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