ちょっと「夏休みの自由研究」的に、『神皇正統記』を読んでいます。
『神皇正統記』は『愚管抄』と並ぶ重要な中世の「歴史書」といわれますが、
歴史書というには主観的、そして思想書的な側面を多分に含みます。
なぜ『愚管抄』ではなく『神皇正統記』のほうを読んでいるのかといえば、
愚管抄のほうが多層的視点で書かれているという点で、思想書としての評価は高いといわれますけれど、
現代に続く南朝の皇統の正統性について「主観的に」説いているところに、今読む価値を感じた次第。
つまり、
ご先祖様をお祀りするその意味というのは、自分のルーツに敬意を払い感謝するというのと同じように、
日本の天皇家のルーツに敬意を払い感謝する、というのは大事なことであろう考えた、ということであり、
もっといえば、
現在の日本の天皇家の正統性を頑なに主張し続けた人(=北畠親房)の思いを知り、それに寄り添うことは、
日本という国のルーツに寄り添い敬意を払い感謝することになるだろう考えた、ということです。
「ルーツを大切にする」
というのは、私たちが認識している以上に大切なことです。
そもそもですが、神社にお参りするのだって、元々の意味は日本開闢の時期を担った神々へ感謝することにありますし、
会社の「創立記念日」というのも、会社のルーツに敬意を払いその創立の時の理念を大切にしようという思いがあります。
建国記念日、天皇誕生日、憲法記念日などが定められているのも、
「ルーツを大切にする」ということがとても大切だという認識を持っていた人たちが、それをきちんと国の祝日としたからできたもの。
昨今は、「ルーツ」の重要性を理解していない庶民大衆やその層から出た経営者や政治家やなどが、
合理主義の名のもとに創立記念や各種祝日を廃止したり改変したりする流れがありますけれど、
国であれ会社であれ、人であれ文化であれ、その「ルーツ」を大切にしなけければ発展することはありません。
このあたり、
樹や草の「根っこ」がなければ、育たない、
樹や草の「根っこ」が補足傷んでいれば大きく育つことはない、
ということをよくよく考えれば理解できるのではないかと思いますがいかがでしょうか。
これを敷衍すれば、「親に感謝する」「親を大事にする」ということの大切さもまた分かりますね。
親というのは自分の根っこであります。
人間、どんなにひどい親であり、まったく世話になら勝ったという人でも、自分一人で生まれ来た人は一人としていません。
父親がいて母親がいて自分が生まれたということを考えれば、両親というのは文字通り物理的に自分の根っこ。
その根っこを大切にすることは、自分の発展につながります。
さらにいえば、父親にはさらに両親がいて、母親にもさらに両親がいて、その父母の両親にはさらにそれぞれ両親がいて…と、つながっているわけで、
その一人一人を大事にする=一つ一つのルーツを大切にする、
つまりはお盆の時期に、きちんとご先祖様をお祀りするということをすると、それは自分や家族・家系の発展につながるものでもありますね。
ちなみに、中殺があるような人、はみだし運の非継承運の人は、親や家系と合わないものですが、ルーツに感謝することは大事だろうと思います。
ルーツに感謝すると、ルーツが盤石になります。
自分の基盤がしっかりとして、発展に向かうことができます。
その意味では、それぞれに思想や考え方は様々にあると思いますけれど、
毎年の靖国参拝というのも、国に殉じた人たちを祀り感謝する、というのは、国のルーツを大切にする、ということでもあり、
国の基盤を盤石にする、国が発展する、ということを目指す場合、「不可欠の儀式」であるといえるように思いますがいかがでしょうか。
もちろん、様々な政治的・外交的背景があるなかで、無邪気にそれに頷くことは出来ないという人も多くおられると思いますけれど、
「ルーツ」は大事である、というのは不動の真理であります。
…とはいえ、冒頭に挙げた『神皇正統記』を著した北畠親房自身も、
高位の貴族として現代に残る歴史書を著したにもかかわらず、結局は広い理解を得られなかったことを鑑みれば、
そう簡単に理解を得られるものでもないかもしれませんね。
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