司禄星に学ぶ「信用」について

商売をしている人とか、
きちんとした仕事を長年やっている人、
堅確な組織で働いているような人、
というのは「信用」というのを大切にします。

蓄積・継続が立証する確実さ。
それが、「信用」を形成していきます。

この「信用」というのは、
若いころはイマイチよく分からない、
取り分け、動乱期に大人の仲間入りをした就職氷河期世代などには、
イマイチ理解するのに時間がかかるのがこの「信用」というもの。

ちなみに、
きちんとした仕事をしたことがない人や、
目先のことに飛びついて、物事をよく考えないような人、
継続的に何かをしたことがないような人、
時流に乗って、他人の思惑に乗って要領よく生きようとするタイプの人には、
永遠に分からないものでもあります。

堀江貴文さんが、どの本だったか忘れましたが、
『「信用」があればどこでも、何をしてでも稼げる』
…というようなことを書いておられましたけれど、これは実際その通りで、

「信用」がある人というのは、
その人の持つあらゆるスキル、その人の起こすあらゆる行動が仕事になり、仕事がどんどん膨らんで、お金になっていく一方、

「信用」がない人というのは、
雇われて働くとか、誰かの下請けで働くとか、誰かのおこぼれで仕事をするしかなくなり、
自分を切り売りするような仕事に終始します。

どちらを目指すべきかは明白なのですが、
案外と、目先のことに飛びついて、要領よく生きようとする人が多いのは、
パレートの法則のなせる業なのかもしれません。

信用で働いてお金を稼げる人は発展するのですが、そういう人が全体の2割。
他人の信用でお金を稼ぐ人は吸い取られる人ですが、それが全体の8割。

なお、こういうことをこんこんと書いていると、

8割の人を非難しているように見えるかもしれませんが、別にそうではありません。
「8割」の人がいないと「2割」は存在しえないので、「8割」の人は大事です。

成績優秀者というのは、成績が悪い人がいるから成績「優秀」ということになるのと同じ仕組みですね。

…ただ、私のブログをご覧になっている方には、ぜひ「信用のない8割」ではなく、
自分の信用で食っていける、稼いでいける「2割」を目指していただきたいな、と思っています。

なお、この8割と2割を言い換えれば、
「アマチュア」と「プロ」ということでもあります。

私は、きちんと対等に付き合う人には「プロ」であることを求めます。
これは私自身が「プロ」であろうと考えるからなのですが、
私の親しい人の中には、「アマチュアだから仕方ないよ」と穏やかに許す人もいます。

あるいは、アマチュアだからこそ「客」になる、
悪く言えば「カモ」として歓迎する人もいますが、

『グッドワイフ』のイーライ・ゴールドや、
『ブラックリスト』のレイモンド・レディントンがアマチュアを毛嫌いしたように、
本来は、アマチュアは容認しないほうが、自分のためにもその人のためにも良いだろうと思っています。

容認されたアマチュアというのは、時間の経過とともに淘汰されていきます。

いってみれば、
底上げされたアマチュアというのは、底上げされたところで「自己評価」するので、世間一般の評価と自己評価が大きく乖離するようになり、
その乖離がかけ離れすぎてしまうと、どんな理由かは別にして、そこからいなくなってしまう。

これは、集団の動向というのをある程度丁寧に見ていれば、誰でも気づくことができます。

景気の良いことばかり言っていた人が、ある日突然引っ越してしまう、
順調であることを喧伝していた人が、いきなり別のことを始める、などの周辺を眺めれば、容易に分かります。

さて、プロとアマチュアをどう見分けるかといえば、
時間とともに、右肩上がりになるか、右肩下がりになっているかで見極めることができます。

信用で仕事をしていると、その仕事は右肩上がりに発展します。
短期的にはいろいろあっても何年かというスパンで見れば、確実に右肩上がりになる。

このあたり、司禄星を思い浮かべれば分かりやすいと思います。
司禄星というのは、本領を発揮するのに、長い長い、数十年もの時間を要しますが、
コツコツと積み重ねていくなかで運勢というのは基本的に右肩上がり、そしてそうそう簡単には崩れない堅固な人生を構築していきます。

「信用」の本質を捉えようとするなら、司禄星をもって知ることができます。

ビジネスの世界というのは、
何かお店を選ぶとか、仕事を頼む先を選ぶとかいうときには、
業歴というのがとても大きな意味を持ちますが、
業歴そのものもさることながら、「右肩上がりかどうか」という視点が不可欠です。

つまり、
「長くやっているけれど右肩下がり」
「長く看板はあげているけれど有名無実で実績なし」
ということに該当しているかどうか、というのが判断の基準になるだろうと思います。

信用というのは大事です。
人を出し抜くとか、人のふんどしで相撲をとるとか、
そういうことをすると、自分では気づかない、あるいは気づかないふりをしようとしても、
いろんなものが瓦解します。

人によっては「自分の意思ではなかったので」とか苦しい言い訳をするのですが、
「自分の意思」で物事を決められないような人と本気で何かをする気にはなれませんね。

ちょっと厳しいようですが、
自分の人生にまじめに取り組むなら、信用を軽んじる、アマチュアの存在というのを許容するスペースはないだろうと思います。

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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

1 個のコメント

  • 確かにその通りですね。信用と継続はワンセットで考えた方が良いですね。「「信用」がない人というのは、雇われて働くとか、誰かの下請けで働くとか、誰かのおこぼれで仕事をするしかなくなり、自分を切り売りするような仕事に終始します」と書かれてますが、いずれは仕事じたいにありつけない様な気がしますよね。百貨店なんか右肩下がりの傾向がありますが、これも信用と関係性はあるんですかね?時代背景だけとは考えにくいですが。

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